今日の東京は朝からキラキラと光がクリアで美しくて、暑いけれど風が心地よいです。
人間というものは、同じになりたがったり、特別になりたがったり忙しいものですね。バーソロミューが言うように、誰もが心のどこかで「自分の方があの人より、少しだけマシだ」(笑)と思っていたりします。全員、良くも悪くも大小ほぼ何かと比較して計っているんですね。かと思うと、憧れの人と同じ特徴や傾向を見つけては、同じであることに喜びや安心を感じます・・・
同じになりたがるのも、人と違っていようとするのも、何かを必死につかんでいるってこと。
最近、私の恩師が余命いくばくもないということがわかりました。師弟にありがちですが、ある時期ごく近くにいたばっかりに、師の姿に反発を覚えて少し距離を置くようになりました。密な関係はなくなったけれど、何かと気にかけてもらい、自分も先生を気にしてきました。ずっと慕っていた存在ですから、あと何度会えるのだろうかと思うと、切ない。
恩師の近況を聞いた頃、重篤なこととは知らず、最初、こんな風に思ったのです。
心身といのちを伝えながら、あのような頑なさがあったから、結局は病をよんだのかもしれない。
・・・
でもしばらくすると、こう思いました。
・・・
あれほど心身といのちを伝えることに身を捧げたから、これだけ潔い終末を迎えられるのだ。
・・・とまぁ、勝手なものです。そんな思考は、A だから B なのだ、C なのに D だった・・・と原因と結果を呆れるほど結びたがっていました。
物理学ではすでに因果律の崩壊が明らかであるというけれど、脳は相変わらず因果を結びたがり、思考を落ち着けたがります。記憶というデータを頼りに納めたがります。でも、無意識ですが、脳が記憶を取り出す度にちょっとずつ記憶は作り変えられ、新たなストーリーを展開しているのです。
そいういう脳の仕組みやクセを利用して、
これに参加すると、あなたはこうなります、こうすれば、こんな輝くあなたになれます、こんな風に作れば、お客様が集まります、喜ばれます・・・
この世界はそうやって、理屈のフレームでくくって交通整理して、あっちとこっちの二極がバランスして成り立っています。それは生存と存続のための大切なバランスでもあります。
ある時ふと、そんなことが見え見えで魅力を感じなくなったら、その世界をそれとして楽しみ充分に味わいながら、理屈抜きの別の場所に、ふと浮かんでみる。何かや誰かにつかまらず、原因や結果を知ろうとするのを休んで、ただ委ねてみたらどうだろう。何が出るかはお楽しみ。実験のようにそれに賭けてみるのはどうかしら。分からないことは、案外、知っているよりずっと広々として愉快なのかもしません。
*裏を見せ 面を見せて 散る紅葉。あるがまま、あるがまま。
2018年9月2日(日) 13時〜17時 開催
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*今の日常を非二元へ繋げる。バーソロミューと共に。
第20回 空(そら)のお茶会 9月9日(日) 14時頃から16時頃まで
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