Void

sharara

分離の自己が望んでいる「悟り」とは、休める場所を得ること。

しかし、エゴの自分が休む場所もすがるものも、一切ないのです。

 

というようなことを、聴いた。

 

「これまでのすべてが夢だったとしたら、どう思う?」

と尋ねられ、

「ほっとする」

と瞬間的に答えたけれど、

あれは私の本当の気持ちだったのか? 誰が応えたのか?

 

何もかもが、滑稽に思える雨の日。