今朝は、私自身のためのプライベートヨガに行ってきました。その時ヨガの先生がお話してくださったことから、つらつら書いてみようと思います。
お母様を亡くされた先生のご友人が、お母様がご存命のうちにもっとハグをしておけばよかった、とおっしゃったそうです。肉体が無くなっても、いつもお母様とは繋がっている感じがするけれど、それでももっと肉体がある時にハグをしておけばよかった、と。
・・・少し切ないお話でした。
確かに、いなくなってしまうと二度と触れることはできないのです。身体の重さや、柔らかさ、肌の感じ。その感覚はもう体験できなくなります。
記憶の中でだけ、《もう一度》はあるけれど、今ここにはないもの。取り戻すことができないもの。喪失。
生物学者の福岡伸一さんが「動的平衡」と言う言葉で、生物のあり方を教えてくれたことがあります。
私たち人間も、大好きな愛犬もお気に入りの洋服も車もチーズもケーキも、全て同じように粒子でできています。
その粒子は、常に入れ替わって固定されることはありません。
つぶつぶは流れて入れ替わり形を変える。壊れることを前提として創造されている現れ。生命は流れである。
一年後の私に会って「まぁ、ちっともお変わりになりませんね〜」と言ったら大きな間違い。私の粒子は一年前とは全くといってよいほど全て違っている。諸行無常・・・粒子という観点でいえば、そんな具合らしいです。
先生から聞いたちょっぴり切ないお話から、触れることって大切だなぁと改めて思いました。
レッスンの最後に先生は「ハグしましょう〜」と言って、私をぎゅっと抱きしめてくれました。
私よりも背がちっちゃくて華奢な先生の身体。
こうしてハグするとき、先生の粒子と私の粒子がくっついたり離れたり動いているのかなぁ〜・・・
・・・優しく心地よい感触。
これは、粒子の動きとは別の次元の感情。
信頼感のなせる感触。粒子の動きに意味を持たせられるのがニンゲン。
私はなんだかじ〜んとしてしまって、先生の背中をさすりながらこの出会いに感謝したのでありました。

母を亡くしてから何度も、重たかった母の身体を支えた感触を思い出します。
立ち上がったり座ったり、私、いつも母を抱きかかえていたなぁ・・・
実は大魔女さん(母)、さわられるのがあまり好きではなかったのです。
なぜだろう? 粒子のせい?? ウルトラ照れ屋のせいかしらん???
ハグしよう ♪〜と言ったら、拒否されるでありましょう、笑。
でも、スキンシップいっぱいの介護生活でした。
そういえば、愛犬ハリーも私がギュウギュウすると嫌がって逃げていたっけ・・・苦笑。
皆さんは、ハグ、していますか?
ぜひ適切な時に、適切な相手と、ハグを🖤