読売巨人軍の長嶋茂雄さんが、昨日亡くなりました。このニュースは、幅広い世代に少なからず衝撃をもたらしたのではないかと思います。野球に特に興味がなくても、長嶋さんは野球を越えていましたものね。
私も野球に興味があるわけではないのですが、小学生の時の幼なじみのお父様がサッポロビールにお勤めで、長嶋さんの写真の下敷きをもらって(下敷きを知らない世代もいる?)使っていたし、高校生の時には、女子校ながら野球好きの友達に誘われて学校帰りに巨人軍の多摩川グラウンドまで練習を見学に行ったことがありました(校則違反です)。その頃、長嶋さんは巨人にいたのかな?定かではありません。そして、大人になって現代陶芸のギャラリーでお仕事させていただいたら、その街は長嶋さんが住んでいる街でした。駅前の焼き鳥屋さんで長嶋さんに会ったよ!なんて自慢げに話すおじさんがいたり、巨人軍が優勝したり長嶋さんが賞をもらったりすると焼き鳥屋さんのビルにはお祝いの横断幕がかかったりしていました。それだけ、みんな長嶋さんが大好きだったのだと思います。

私は長嶋さんの訃報のニュースを見ながら、そうだったのか〜!と思ったことがあります。それは、晩年のインタビューの中で「天才と言われるご自身をどう思われますか?」という質問に対して長嶋さんは一瞬、意外そうな不思議そうな表情をされて「・・・私はまったく天才ではありません。ごく普通の人間です」と静かに答えたことです。そして、誰よりも練習をしていながら「プロというものは努力している姿をお客様には見せない」と言っていたこと。
長嶋さんは天才で軽々とホームランを打てるが、天才ゆえにできない人はなぜできないかがわからず、人に教えることは上手くない、そんなイメージで語られるのを聞いたことがありました。私は天才に会ったことがないし、確かに根本的に搭載エンジンが F1 並みの人はいるから、さもありなんと思ったりもしましたが、身近に器用でカッコよくてスマートな人がいて、でも実は地味な下準備をコツコツしたり、小さな努力を積み重ねているのを見ていたので、華やかな表舞台の裏には努力あり、と信じていました。努力することが野暮ったいように言われることがあるけれど、努力の量がその人を支える土台だと思っていました。
そんなわけで、あらためてミスタープロ野球の長嶋さんが『努力』を大切に思っていたことを聞いて、輝く天才スターがなぜキラキラと輝き、ふつうの人々に夢や希望を与え、これほど愛され感謝されたのか、どんな立場でも大切なことは何なのか、そんなことが私なりに腑に落ちた長嶋さんの旅立ちでした。サヨナラ、長嶋さん、あちらでもお元気で。

千里の道も一歩から、ですね。