到達される必要はない〜マハラジ

 

大好きなマハラジせんせいの本が、近々、新しく出版されるということを友人が教えてくれました。マハラジせんせいは、紙巻タバコなどを扱う小間物屋さんを営みながら集まる人々に「真実のあなたとは何なのか それを見いだすために努めなさい」と道案内しました。今日はマハラジせんせいの言葉から。

 

質問者

もちろん、客観的知識やものごとの観念は自己知識と同じものではありません。ひとつは脳を要し、もうひとつは必要としません。

 

マハラジ

議論のためにあなたは言葉を脚色し、それらに意味を与えるかもしれない。だが、すべての知識は無知から来たものだという事実は残る。もっとも精密な地図も、ただの紙にすぎない。すべての知識は記憶のなかにある。それはただの認識なのだ。一方、実在は知る者と知られるものという二元性の彼方にあるのだ。

 

質問者

それでは、実在は何によって知られるのでしょうか?

 

マハラジ

何とあなたの言葉は誤解を招くものだろうか! あなたは無意識のうちに、実在もまた知識によって到達できるものだと思っている。その上、実在を超えた、実在の知者を話の中にもたらすのだろう。在るために実在が知られる必要はないということを理解しなさい。無知と知識は実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだ。

 

質問者

もし実在の知識というものが存在しないのなら、どうやってそれに到達するのでしょうか。

 

マハラジ

すでにあなたとともに在るものに到達する必要はない。到達しようとすること自体がそれを逃してしまうのだ。それを見いだしていないという考えを放棄しなさい。そしてただ、マインドの中のすべてを取り除くことによって、今ここに在る直接の知覚の焦点へとそれを入ってこさせなさい。

 

質問者

去るべきものが去った後には、何が残るのでしょうか?

 

マハラジ

空が残る。気づきが残るのだ。意識的存在の純粋な光が残るのだ。それはすべての家具を取り除いたとき部屋には何が残るのかと尋ねるようなものだ。もっとも役にたつ部屋が残るのだ。そして壁さえもが取り払われたとき、空間が残る。空間と時間の彼方には、実在の今とここが在るのだ。

 

 

『アイアムザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話』 マラティー語からの英訳者:モーリス・フリードマン 編集者:スダカール・S・ディクシット 翻訳:福間  巌 発行: (株)ナチュラルスピリット 83 真のグル P441 より抜粋

 

 

*バラバラではなく、全体であることを選択する

伊東充隆主宰 第9回青空禅塾  

2018年4月1日(日) 13時〜17時 開催

 

*バーソロミューと共に。アウトプットしながら自ずと気づくこと。

空のお茶会

2018年4月15日(日)14時頃から