こっちから見た嘘は、あっちから見ると嘘じゃなかったりする。
なぁんだ、また嘘ついていたのか…
思い出した。
昔お世話になったある社長さんは、現代にはもう見かけないようなものすごく面白い趣味人だった。
その人を側で観察していると、コロコロと相手によって態度が変わる。
その顔のあまりの使い分け方に、若くまっすぐで純粋な私(笑)はちょっとだけ軽蔑を感じていた。
でもその調子良さというか、いい加減さが、この世をオモシロおかしく生きるターボエンジンみたいだった。
実際にとても成功していて、敵も多くいたけれど新しいことをたくさん生み出して尊敬された人だった。
その人は、割合若いうちに今で言うアルツハイマー病になってしまった。
まだその病の内容をよく知らなかった私は、現実のことがどんどん分からなくなって行く姿を見て、
嘘ばっかりついていたから、どれが本当でどれが嘘がわからなくなっちゃったのだ、
とそのひとのことを憐れんだ。
今思えば、私は高慢だったな。
その人はとても素敵な言葉を私に残してくれた。
小さなメモ用紙に味わいのある万年筆の字で、
たった今、生まれて来たかの如く。
嘘も誠もたくさんあって、冷たくて熱くて、ちょっと屈折していて、
狂ったところが魅力的な人だった。
きっとあの人も求めていたのだろう。
自分と共通点を感じるものを人は信頼し、自分と違うものには怖れを感じます。
一人ひとりのエゴは、その過去も現在も、未来対する期待も違っているので、エゴはお互いを怖れるのです。
けれども、沈黙のなかでは共通点が見えてくるので、怖れが静まり、愛や人との繋がりや、相手を受け入れることに、
心を開くことができるようになります。沈黙は、人を真理でないものから真理へと導き、見せかけの世界を越えて、
” 一つでありすべてである大いなる真理 ” へと導いてくれます。
「バーソロミュー」より
