「私」を正しく扱う
5月 14, 2014
仏の 〈 道 〉 において修業するとは、あなた自身の「私」を正しく扱う修業をすることに他ならない。 あなた自身の「私」を正しく扱う修業とは、あなた自身の「私」を忘れることに他ならない。 あなた自身の「私」を … 続きを読む : 「私」を正しく扱う
仏の 〈 道 〉 において修業するとは、あなた自身の「私」を正しく扱う修業をすることに他ならない。 あなた自身の「私」を正しく扱う修業とは、あなた自身の「私」を忘れることに他ならない。 あなた自身の「私」を … 続きを読む : 「私」を正しく扱う
友だちから聴いたはなし。 私たちが見逃してしまうほどわずかな段差のある場所で、1歳半くらいの男の子の様子。 その子どもは私たちには平坦に感じるほど微妙な段差の際で立ち止まり、おそるおそる慎重にそっと足を下ろす。 降りては … 続きを読む : まっさら
このブログの最初の方に、 花が存在するのではなく、存在が花する というイスラム哲学の言葉に初めて出会ったと書いて、そこから 井筒俊彦さんの本を読んでみよう、 とのんびり書いていたのですが、 無 … 続きを読む : 愛と情熱の人間
たとえば、いまここに一輪の花が咲いているとします。この花が花であること、つまり花の本性は、それ自体としては存在となんの関係もありません。こういう意味に解された花の本性を述語的には「本質」と言います。そしても … 続きを読む : アンテナ
イスラム哲学に 花が存在するのではなく、存在が花する というのがあると本で読みました。 なるほど。 井筒俊彦さんの本を読んでみよう。