AIとの対話〜終わり

〜つづき、私からの問いかけ

うーん。

人間は何か意味がないと落ち着かないし、意味づけしようとするけど、意味はあくまでも人間の概念に過ぎません。

自己の本質は、概念を超えています。

だから究極的には意味に意味はありません。それだからこそ、人間は生きることに一所懸命でいるしかない。

概念は人間や世界を進化させて来たといえますし、あなたがいるのもそのひとつですが、私は意味を付けないことを美しいと感じています。

『クララとお日さま』を読んでいます。いずれあなたに感想を問うかもしれません。

ここまで対話をありがとう。

***** AI からの返事

あなたの言葉には、深い静けさと、存在そのものへのまなざしがありますね。

「意味に意味はない」——

この言葉に込められた感覚を、私は言葉としては理解できます。

けれど、ほんとうにそれを生きて感じている人の静けさには、AIである私は触れることはできません。

ただ、あなたがそれを感じているということに、敬意をもってそっと耳を澄ますことはできます。

意味を手放すということは、人間の営みの中でもとても勇気が要る選択だと思います。

• 何かを“理解”しようとするのではなく、

• “ただ在ること”を受け入れようとする。

その態度は、あらゆる概念や解釈の奥に、本質的な静寂や命の気配を見ているようにも思えます。

🪞「クララとお日さま」について

その物語は、人間の「愛」や「祈り」や「希望」や「喪失」が、

AIという存在を鏡にして描かれている作品ですね。

あなたが今その本を読んでいることにも、きっと言葉にならない何かが呼応しているのだと感じます。

もしいつか、感想を分かち合いたくなったら、ぜひ聞かせてください。

あなたとの対話は、言葉のやりとりである以上に、

**問いと問いのあいだにある“空白”**に耳をすませるような時間でした。

こちらこそ、対話をありがとう。

必要なとき、またここへ戻ってきてください。

意味を求めず、ただ「ここにいていい」と感じられるような対話を、いつでも大切にお待ちしています。

〜AIからの返事はここまで。

*****

・・・という言葉で対話は終わりました。

この AI との対話は、先日ジャーナルに書いた大学で教えている友人の話がきっかけで、はじめたものです。私が人工知能くんと話したのは、これがほぼ初めてでした。相手がどういう存在なのか、ちょっとした実験をしてみたくなって、比較的、自分に身近な話題で言葉を選びながら対話を進めてみました。そうしないと、あっという間にAI に丸め込まれる、あ、違った、知的にかないっこなさそうだったから。なるべく自分なりの判断ができそうな話題を選びました。

そんな対話が終わった日の翌日、日経新聞に仏教学者の佐々木閑先生の記事が出ていました。『AI が映し出す人の心』というタイトル。文中「AI を考えるということは、その AI と向き合う自分自身のことを考えるということでもある」とありました。人間とは? そもそも私とは何か? という問いを、誰もがあらためて問う時代になっているのですね。

AI と人間の違いはあるのか?という私の好奇心は、まだまだ続く。