8月の中尾先生「〜これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座」は、『日本洋画の流れと俊英たち』いよいよ大正期に入ります。
教科書で見たことあるある〜の絵画作品が出てきますよ〜。あらためて日本における洋画を鑑賞すると、鑑賞力が深まる!そんな印象があります。では、先生からのご案内はこちら〜
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【講座の内容】
大正の洋画(1)大正デモクラシーと巨星・岸田劉生、異才・萬鉄五郎
《白樺》の影響とフュウザン会
明治43年(1910年)に武者小路実篤、志賀直哉ら若き文学者グループにパリ帰りの洋画家有島生馬らが加わって創刊された文芸・美術雑誌《白樺》は大正デモクラシーと呼ばれる「個の自覚」の気運を背景に、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、ロダンなど印象派以降のヨーロッパ近代美術の紹介に重要な役割を演じます。

《白樺》創刊号の表紙
1910年(明治43年)
そんな中、大正元年(1912年)にはポスト印象派に傾倒する若者たち、斎藤与里、岸田劉生、木村荘八、萬鉄五郎、高村光太郎らが参加した《フュウザン会》(フランス語でデッサンに使う木炭の意)の展覧会が開催されました。フュウザン会自体は翌年に解散しますが、こうした新しい動きが契機となって、旧態依然とした文展への批判が高まります。

岸田劉生 《築地居留地風景》
1912年(大正元年)
第2回フュウザン会展(1913年)出品

萬鉄五郎 《日傘の裸婦》
1913年(大正2年) 神奈川県立美術館
第2回フュウザン会展(1913年)に《エチュード》というタイトルで出品
二科会の発足
この流れはとどまるところを知らず、大正3年(1914年)にはわが国初の在野美術団体、《二科会》が発足します。二科会の創立会員には新進気鋭の若き芸術家たち、石井柏亭、山下新太郎、津田青楓、有島生馬、斎藤与里らに加え、前年に帰国していた梅原龍三郎、坂本繁二郎、小杉未醒らがいました。また翌年開催された第2回二科展には大正、昭和を通じて「梅原・安井」と並び称せられた安井曽太郎も加わり、44点もの滞欧作を出品しました。

有島生馬 《鬼》 1914年
東京都現代美術館
第1回二科展(1914年)

梅原龍三郎 《読書》
1911年(明治44年)
三菱一号館美術館寄託
第4回二科展(1917年)京都会場の特別展示

萬鉄五郎 《もたれて立つ人》
1917年(大正6年)
東京国立近代美術館
第4回二科展(1917年)に出品
岸田劉生の草土舎
一方、新傾向グループのフュウザン会をわずか2回の展覧会だけで解散させた岸田劉生は、新たに《草土舎》を結成し、ポスト印象派的な作風をがらりと変え、北方ルネサンスの画家デューラーに影響を受けた写実的な画風の作品を発表します。大正4年(1915年)の第2回草土舎展に出品された《切通しの写生(道路と土手と塀)》(東京国立近代美術館蔵)は後に描いた《麗子微笑》(東京国立博物館)とともに重要文化財に指定されています。

岸田劉生 《道路と土手と塀(切通之写生)》
1915年(大正4年) 東京国立近代美術館

岸田劉生 《麗子微笑》
1921年(大正10年) 東京国立博物館
大正の洋画(1)では大正デモクラシーの社会背景を背に盛り上がった反文展、反アカデミズムの流れを、具体的な作品を鑑賞しながら見て行きましょう!
◾️8月25日(日)13時〜15時 第118回これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座
日本洋画の流れと俊英たち 大正の洋画(1)大正デモクラシーと巨星・岸田劉生、異才・萬鉄五郎
|講師|中尾陽一
|会場|プロトマニア と オンラインzoom
|参加費|5,500円(税込)/7,700円(税込テキスト付き)
*ほか、オンラインは2,200円(税込・視聴とチャットのみ)あり。
*予告*
9月22日(日)開催 第119回〜これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座
「日本洋画の流れと俊英たち 大正の洋画(2)」