7月の中尾先生「〜これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座」は、『日本洋画の流れと俊英たち』明治の洋画の4回目。
教科書で見たことあるある〜の絵画作品が出てきます。あらためて日本における洋画を鑑賞すると、鑑賞力が深まる!そんな印象があります。では、先生からのご案内はこちら〜
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【講座の内容】
紫派と脂派の対立黒田清輝(1866 – 1924)と白馬会系の画家たちの特徴は、印象派と伝統的なサロン絵画を折衷した外光表現でした。陰の部分を青や紫で表現したことから《紫派》と呼ばれます。一方、黒田の帰国以前に結成された明治美術会の画家たちの画風は、バルビゾン派的な褐色系の画面で脂(やに)っぽい印象を与えたことから、《脂派》と呼ばれます。
浅井忠と京都洋画の人脈
明治の洋画は黒田を頭目とする紫派が圧倒的なメインストリームになって行きますが、《脂派》にあって黒田を凌ぐ実力者と目されていたのが黒田よりも10歳年上の浅井忠(1856 – 1907)です。彼の代表作《春畝(しゅんぽ)》と《収穫》はともに重要文化財に指定されています。

浅井忠 収穫 1890年(明治23年)
東京芸術大学
浅井忠は1898年(明治31年)に黒田とともに東京美術学校の教授になり、文部省の派遣でフランスに留学しますが、帰国後は京都工芸学校(現在の京都工業繊維大学)の教授に就任し、関西美術院を通して京都画壇の育成に尽力します。ここから、梅原龍三郎、安井曽太郎、須田国太郎、里見勝蔵、向井潤吉ら大正、昭和へと続く京都洋画の人脈が形成されます。
文展の始まりと新進芸術家たちの帰国
浅井忠は1907年(明治40年)に51歳で亡くなりますが、この年、フランスのサロンをまねた文部省美術展覧会(通称、文展)が始まり、第1回展では東京美術学校で青木繁と同期だった和田三造の《南風》が最高の二等賞を受賞しました。この絵も重要文化財にしてされています。

和田三造 南風 1907年(明治40年)
そしてこの頃、フランスをはじめとするヨーロッパ絵画の新しい潮流を学んだ新進芸術家たちの帰国が相次ぎます。
1908年(明治41年)には、斎藤与里、荻原守衛、1909年(明治42年)には高村光太郎、津田青楓、1910年(明治43年)に有島生馬、藤島武二、南薫造、山下新太郎、1912年(明治45年)には児島虎次郎、斎藤豊作、石井柏亭らが帰国します。
彼ら若き芸術家たちは大正期以降、黒田清輝に代表される明治の洋画家たちの素朴な西洋画崇拝からの脱却の道を模索することになります。
絵画鑑賞講座、明治の洋画(4)では以上の流れを具体的な作品を見ながら、みなさんと大正前夜の日本洋画界へタイム・スリップしたいと思います。

南薫造 春(フランス女性) 1908年頃

山下新太郎 読書 1908年

児島虎次郎 和服を着たベルギーの少女 1911年

斎藤豊作 風景 1912年
※ 《印象派 モネからアメリカへ》展に出展されていました。
◾️7月25日(日)13時〜15時 第117回これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座
日本洋画の流れと俊英たち(4) 「大正前夜 ー紫派と脂派、浅井忠と京都洋画、文展のはじまり、新進芸術家たちの帰国 ー」
|講師|中尾陽一
|会場|プロトマニア と オンラインzoom
|参加費|5,500円(税込)/7,700円(税込テキスト付き)
*ほか、オンラインは2,200円(税込・視聴とチャットのみ)あり。
*予告*
8月25日(日)開催 第118回〜これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座
「日本洋画の流れと俊英たち 大正の洋画(1)大正デモクラシーと巨星・岸田劉生、異才・萬鉄五郎」