中尾先生の絵画鑑賞白熱講座に参加している友達が、上野の展覧会に行ったとメールのついでに知らせてくれました。
この展覧会は、現代美術の展覧会。会場構成が大胆というか、東京国立博物館(東博)の収蔵作品と建築と内藤礼さんの作品のコラボレーション(と言っても良いかな?)のような展示、だそうです。6月のスティラスッカのお話し会の参加者の方も、展覧会初日に観てきて感想を話してくれました。彼女の話によれば、展示は平成館、本館・・・と東博のあちこちに渡っているとか。
私はまだ行っていないので、ここには何も書けないのですが、友だちのメールには、内藤礼さんの展覧会を鑑賞しながら、常設展示されている青木繁や中村彝の前で足を止めたとありました。青木繁や中村彝は、中尾先生講座で何度か取り上げ、さまざまな角度から鑑賞したことがある日本の洋画家たちです。今や「クラシックな油絵」ともいえるかもしれません。
現代美術好きの友だちは、現代美術展を観ながら講座で鑑賞した油絵作品の前でもじっくり作品を観てきたのは「《白熱講座効果》だ」と書いていました。
私も同様に、現代彫刻家の展覧会に行って、同時に常設展でコレクション作品の中に見つけた作品、白熱講座で鑑賞した絵画作品の前で、長々と絵を眺めました。
おそらく、中尾先生講座でその作品や画家の背景や歴史、さまざまなエピソードを聴かなかったら、有名なあの作品だ、知っている、とちらっと見て次の作品へと進んだと思います。でも、じっくり鑑賞した作品は、自分の所有物でもないし、我が家の居間に飾ってあったわけでもないのに、とても近しい身近な感覚があって、再会したような「あら、久しぶり」みたいな気持ちになるのです。現代美術好きの私に以前はなかった反応で、そんな自分の変化に驚いていたところに、友だちからも同じようなことがあったと知って、嬉しくなりました。
私たちは、いつでも変化していいし、変化できるし、新しくなるのだなぁという自由さ。(このところこれがマイブームで、繰り返し書いていますけれどね、笑)
そしてもう一つ素晴らしいのは、そんな変化や影響を誰か(何か)が誰か(何か)に及ぼす美しい化学反応。信じ込む、刷り込む、とは違って、化学反応が起きるためにはあくまでも主体があって、それぞれの特性が相互に働くのだと思います。それぞれが自立しているからこそ生まれる美しさ、なのではないかと思いました。
