自分が何か感じて、かなり考えてやり始めたら、それと同じことを社会的に知名度のある人が発言していたり、どこかで同じようなことをしている人たちがいた・・・なんてこと、意外にあります。同じようなことや物語りが、世界のどこかで起こっている。血気盛んな若者であれば、オレ様が発見したのだ!オレ様のアイディアだ!・・・なんてカッカするかもしれませんが、人生のベテランともなると、そうよね、私だけじゃなくてそう思っている人はいるわよ、いて当たり前よ、そうじゃなきゃ・・・と思います。
少し前に新聞記事を読んで共感したその続きで、著者の本を読み始めました。
▼訂正する力 東 浩紀 著 朝日新書
はじめに
日本にいま必要なのは「訂正する力」です。
日本は魅力的な国です。けれどもさまざまな分野で行き詰まっています。政治は変わらず、経済は沈んだままです。メディアは大胆な改革が必要だと叫びます。けれども実際にはなにもすすみません。人々は不満を募られせています。もう日本はだめなのでしょうか。ぼくはそうは思いません。ただ、そこで必要になるのは、トップダウンによる派手な改革ではなく、ひとりひとりがそれぞれの現場で現状を少しずつ変えていくような地道な努力だと思います。そのような地道な努力にもやはり哲学が必要です。小さな改革を後押しするためには、いままでの蓄積を安易に否定するのではなく、むしろ過去を「再構築」し、現在に生き返らせるような柔軟な思想が必要です。ぼくは本書でその思想について語っていきます。ものごとを進めるために、現在を過去をつなぎなおす力。それあ本書が言う「訂正する力」です。(はじめに より抜粋)

ここまで読んでワクワクし、その後はフムフム大きく頷きながら読みました。たとえばプロトマニアやアラカワアートオフィスをやっている今の私にグッと来たのは、この辺りも。
大事なのはメッセージ周りの冗長性
現代は「コスパ」「タイパ」を重視する時代です。メッセージやコンテンツは短く簡潔なものが好まれます。人間関係も最低限で良いという考えた広がっています。コロナ禍では、仕事はすべてステイホームで、対面することなく行うのが先端的だという風潮も生まれました。ですから、本書の主張はすごく反時代的に聞こえるかもしれません。けれども、先ほども触れたように、そのような「削ぎ落とし」は実は肝心のコンテンツをたいへん脆弱なものにするのです。コンテンツは、周りの無駄な情報と一緒に伝えないと本来の力を発揮できないものなのです。これは言説だけでなくて、映画や音楽のような文化的な体験全体にも言えることです。たとえば、禅問問答のような問いになりますが、ひとは「音楽を聴きたい」と感じるとき、本当はなにを聴きたいのでしょうか。むろん、音だけが聴きたいのだ、というストイックなひともいるでしょう。けれども、多くのひとにとってはそうではない。彼らは必ずしも音だけを聴きたいわけではない。多くの人にとっては、音楽を聴くということは、音楽に付随するすべての記憶や体験をセットで意味しているはずです。(第1章 なぜ「訂正する力」は必要か より抜粋)
部分的に文章を抜粋してしまうのは、あまりよろしくないとは思いますが、何かピンときたらぜひこの本、読んでみてください。
