
質問者: 真我を実現すると、人は何を見るのでしょうか?
マハルシ: そこに見るということはない。見るということは、ただ在るということだ。
われわれが真我の実現と呼ぶ状態は、新たな何かを達成することではなく、どこか遠い目的地に到達することでもない。
それはつねにあなたであるもの、そして今までずっとあなたであったものとして、
ただ在ることである。
あなたに必要なのは、ただ偽りを真実と見なすのをやめることだけだ。
われわれは皆、実在ではないものを実在だと見なしている。
ただこの習慣を放棄するだけでいい。そうすれば、われわれは真我を真我として実現するだろう。
言い換えれば、「真我として在りなさい」ということである。
あまりにも明白な真我を発見しようとしているあなた自身を笑うときが、いつかやってくるだろう。
だから、この質問に対していったい何が言えるといえるのだろう?
その境地は見る者も見られるものも超越する。そこには何かを見ている見る者がいない。
これらすべてを今見ている見る者が存在を消し、そしてただ真我だけが残るのである。
質問者: あなたはときおり、真我は沈黙であると語っています。なぜでしょうか?
マハルシ: 真我のなかで無心の美しさを生きる者にとって、考えるべきことは何ひとつない。
なぜなら、その至高の状態のなかでは、真我以外に達成されるようなものは何も存在しないからだ。
「 BE AS YOU ARE The Teaching of Sri Ramana Maharshi 」
デーヴィッド・ゴッドマン編 より抜粋