自然に学べ、とはよく言われることですが、
植物も石も動物もそこにただ在る。
森の中や水の側を歩く。
光、影、水の流れ落ちる音、鳥の声、遠くに聴こえる車の音、風 …
足元に広がる苔の絨毯の柔らかさ、ぬかるみの泥、岩、草、感触 …
空の青さ、流れてはふぅっと消える雲、飛ぶ鳥、動き …
週末の青空禅フォーラムのようす。
むかしむかし、尊敬していた彫刻家が、
無可有 というタイトルの作品は、
二極を同時に表そうとしていると言っていたことを思い出しました。
あぁ、あの人が求めていたのはそういうことか。
伊東先生のことばは、それを求めている人たちにいつだって優しい。
それは特別なのではなく、みんなだいじょうぶだと。
人に頼らず、本人にとって100%のリアルは何?
だいじなのは100%、理屈や信念、人に頼らず不変であると認めることができることは何か?
意識を未来や過去にするのではなく、今、この瞬間にあるものとは何?
時間と共にやってくるものは、ポイポイ捨てて、
残ったものは何かと自分で確かめるのだ。
空白を作る。1秒だってよいのだ。長さではなく深さだ。
できなくても失敗じゃないよ、繰り返してこそある時ふと、そうなっているのです、と。


