本日は秋分の日。
あっという間に秋ですね。
朝からとっても気持ちよい。
午前中はちょっとだけお仕事の打ち合わせをして、ランチはパスタにしました。
最近は高齢の母に合わせたメニューが身に染み付いて和食中心でしたが、
私はもともと西洋カブレの祖母、父の血をついでいるので、
今日は久しぶりに一番好きなメーカーのパスタを茹でただけで、ご機嫌急上昇♡
子どもを育てた女性は、
子育て中は自分の時間なんてないから、珈琲をたった一杯ゆっくり飲めただけでシアワセを感じたわ!
と言っていました。
待ったなしの子ども達ですものね、おかあさんは大変。一杯の珈琲を飲む時間もないくらいに。
おかあさんであり妻であり仕事をしている友人たちを見ていると、手際がよいし、決断は早いし、どこか懐が深い。
もちろんおっちょこちょいで、怒りん坊だったりもするけれど、おかあさん独特の匂いがして、独特の魅力があります。
私は子どもがいないので、母の苦労や歓びがわからないのですが、匂いはわかるんだなぁ、うふふ。
身体が老いて行くことって、とても大変なんだと思います。
痛かったり、重かったりすると気持ちも影響を受けますし、思うようにならない苛立ちもあります。
でも皆に平等にそういう時と経験はやって来るし、全員が死を経験するでしょう。
前にも書きましたが、老いる母から見せてもらっていることがいろいろあります。
私たちは時間を信じていて、その決まり事のおかげで世界が出来ているけれど、
母はだんだんと瞬間、瞬間になってきていて、ほんの数分前のことをみごとに忘れていたりします。
忘れる、というより、全くない。
そして時々私は、これが真実かも、と思います。
私が思う、ちょっと前のこと、は真っ白けで何もないんです。
朝の空がきれいだなぁと言うわたし。
空を見て、「空だ」と思うのはそれが「ソラ」という名前と教えられ、言葉を覚えたから。
過去に教わった考え方を覚えていてそう言っている。
でも、本当の意味でそのものを見ていない。空だと思って見ているだけ。
記憶と概念でできている時間の世界。
なんだか不思議な気がします。
