プレザンス より
言い換えるなら、芸術の目的は、分離した内側にある自己の中心に横たわる傷、つまり、
私たちは断片であり、分離した内側にあり、体に閉じ込められ、
見ず知らずの敵対的な世界と断続的に散発的にやりとりをし、無力さ、迷い、怖れを感じ、
そして死ぬことを運命づけられているのだという、この信念と感情を癒すことにあります。
それはつまり、体験的なやり方で私たち本来の状態、私たちはすべてと親密にひとつであることを知り、
感じている自然な状態に還ることです。さらに言うなら、ひとつになるための分離した内側にある自己は存在せず、
独立した対象物、他者、世界もないということを体験的に明らかにすることです。
そこにはひとつの、つなぎ目のない親密な全体があって、それは常に動き、変化し、けれどいつも同じでここにあり、
体、心(マインド)、世界のあらゆる体験という形をとりながら、いつでもそれ自体であるのです。
画家セザンヌは、「世界の生における一瞬が過ぎていく。その瞬間の真実を描き、すべてを忘れる。
その瞬間になり、敏感な受け皿になる。見ているもののイメージを与えるため、それまでに起こったことすべてを忘れる」
と言いました。
その瞬間になり、その瞬間として、瞬間から瞬間への体験の全体としての自己を知り、
その瞬間とすべての瞬間の要素としての自己を知り、芸術家として「イメージを与える」こと。
つまり、この理解を運ぶ何か、運ぶだけでなく伝え届ける何か、慣例的な二元的視点を通り抜け、溶かし、
この体験的な理解を喚起する力を秘めた何かをつくること。
セザンヌは、形はないけれど常にここにある体験の現実を、ぎりぎりのところで形としてすくい上げた作品を残しました。
それは、パルメニデス、ルーミー、クリシュナメノンなどが言葉であらわしたものと同じです。
芸術家のやり方は、知覚を通じてのものであり、哲学者は思考を通じて、帰依者は愛を通じて同じことをします。
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芸術は、私たちの文化に根づいている不定愁訴、つまり、孤独、絶望、分離の感覚、そして愛への渇望を癒してくれます。
私たちは芸術作品をただ見るのではなく、それに参加するのです。
芸術の本質とは、私たちが拒絶した世界、他なるものであり、分離し、
生命を失った物質でできていると見なした世界を、近くに、親密なものとして取り戻し、
私たちの自己がそれとひとつであると知ることです。
「プレザンス 安らぎと幸福の技術」第1巻 ルパート・スパイラ著 より抜粋
