質問者: 私は二十年以上も形而上学に興味を抱いて来ました。
しかし多くの人たちが宣言するような新奇な体験を得たことがありません。
私には透視能力や透聴能力もありません。
ただこの身体の中に閉じ込められているだけのように感じるのです。
マハルシ: それでいいのです。真理はただ一つ。それが真我です。
それ以外のすべても真我であり、真我によって真我の中に現れる単なる現象でしかないからです。
見る者、見られる対象、視野はみな真我でしかありません。真我を離れて、見たり聞いたりすることのできる人が
いるでしょうか? 近くにいる人を見聞きすることと遥か彼方にいる人を見聞きすることとの間にどんな違いがある
というのでしょう? どちらの場合も見る器官と聞く器官が必要ですし、心も必要となります。
どちらの場合もそれらなしでは不可能であり、どちらの場合もそれらの器官を必要とするのです。
だとすれば、なぜ透視能力や透聴能力に魅了されなければならないのでしょうか?
そのうえ、獲得されたものはやがては失われてしまいます。それを永久に保つことなどできないのです。
永久的なものはただ実在だけであり、それが真我です。
あなたは「私は在る」(I AM)、「私は行く」(I am going)、「私は話す」(I am speaking)、
「私は働く」(I am working)などと言います。それらすべての中にある「私は在る」(I AM )に
ハイフンをつけてみなさい。そうすれば「私―在る」( I – AM)となります。
それが永久的かつ基本的な実在です。
この真理は神によって「私は私で在るものである」、「静かに在りなさい。そして私は神だと知りなさい」
としてモーゼに説かれました。それゆえ、「私―在る」は神なのです。
あなたはあなたが存在していることを知っています。いかなるときも自分の存在を否定することはできません。
否定するにも、あなたがそこにいなければならないからです。これは心を静かにすることによって理解されます。
心とは個人の外向的な機能です。
もし内側に向かえば、心はやがて静かになり、「私は在る」(I AM )だけになります。
「私は在る」が全真理なのです。
ラマナ・マハルシとの対話 1938年 より
