そこであなたがすべきことは、相手が自分の一部を見せてくれているのだと思い出すことです。
自分は今それを表現していないが、いつでもその可能性があるのだと思い出すことです。
意識をとぎすまして、はじめから終わりまで観察しましょう。
朝起きたとたんに不機嫌な日もあれば、上機嫌の日もあるでしょうが、どちらでもいいことです。
大切なのは、おたがいを観察し合い、自分自身を観察することです。
なぜなら、その結果、人間意識がたえず変化する様子がよくわかるからです。
周りの人間が常に上機嫌であるべきだと考えるのをやめて、人間意識のあらゆる面を受け入れることを学ばなければなりません。
あなたがいつも笑顔でいるわけでもないのに、まわりの人たちがいつも笑顔であることをどうして期待できるのですか。
笑顔のときもあればそうでないときもあるのです。人生の目的は永遠に幸せに暮らすことだという教義にしがみつく人は別として、
どの状態の方が好ましいということはないのです。
バーソロミューより
少し前にあった出来事ですが、
目の前にやってきた出来事をただそのまま見る、
というのを初めて素直に体験した気がしました。
それはそれは新鮮で、驚きでした。
そこには隠れた意図や罠などないのだ、ということを恐る恐る受け入れました。
怖れの強い私は、知らず知らず、こうであるはずだ、こうあるべきだ、
というフィルターを通して見続けて来た、と芯から気付いた出来事。
あまり関係ないかもしれないけれど、
私には変わり者のおばがいて、サウンドオブミュージックのマリアのように天真爛漫で、
私にとっては「サイコー!ブラボー!」な人なのです。
劣等感が強くて自信のない私をまるごとそのまま受け止めて、
いいの、いいの、それでいいの。
立派な学歴や経歴の人はそれで立派。そうでない人も十分それでよし。
登校拒否も勉強できないも、それでいいのだ、とむかしから言っていました。
ちょっと変わった職業、例えば芸術家や建築家の親を持つ子どもたちはみんな苦労していて(苦笑)、
凸凹でこの世の流儀にどこか馴染めなくて戸惑っているのですが、このおばのまわりにはそういう子どもが集まる。
健康で生きているだけで十分だ、くらいの勢いで受け止めてくれるので、束の間ほっとできるのです。
純情で透明なおばは、深刻なところが全然なくて喜怒哀楽もそのまんま。
私はそんなおばを見て、神さまみたいだと思ったものです。
ほんとうに神さまかもしれない、よね。
内面にすでにあるものが、世界に映し出されているだけ。
