仏像ならぬ神像。
日本の神様像は素朴で親しみやすいものが多いですね。
平安時代の神像は、ふつうの人間のかたち。
しもぶくれのお多福さんみたいな女性の神像もあれば、その辺にいそうなおじさんの男神像もあります。
それが当時の神様像だったのか…と思うと、
神様とはそういうものでそれを当時の人は知っていたのかも。
私たちは放っておくと、たいていの場合は ” 思い込み ” から始めます。
自分が知っている(と思っている)ことを前提に物事をジャッジしたり、スタートするけれど、
そうすると時として大きく方向を間違ってしまったりします。
誰かさんが化学兵器を作っていないわけはない、という前提で大きな国が動き出し、
ふたを開けたら実はそうではなかった、ってなこともあって、
失敗した国の人は、「当時の我々には想像力がなかった」、なんてコメントを堂々と述べていたりします。
自分が考えつくことだけで物事を見るよりも、
いやまてよ、と疑ってみたり、前提を変えて見てみるというのは、
いつの間にか思い込んでしまっていることに気づけて、広がりがあります。
たとえば神様について、そういうものってどういうもの? という方は、
青空禅フォーラムでお話を聴くとそれがわかるかも。
