先週、少し凹んでぽろっと弱音をはきました。(私にはお腹がすくのと寝不足がひっかかりやすい罠です)
「 ふと気づいたら、実はこれすべて妄想だったりしてね… (苦笑)」
とつぶやいたら、これまでずっと、隣の屋根から私を見ていてくれるトモダチが、
「 妄想だって別にいいじゃない! 正しいも間違ってるもないんだから好きなことすればいいじゃない、サロン・ド・ヨウコ! (爆笑)」
あはははは。
トモダチは、プロトマニア構想時から
「 名前は 〜ヨウコズルーム〜 が絶対いいよ 」
と真剣に主張し続けて、全力で抵抗する私を大いに笑わせてくれて来た、天然ユーモア搭載の有り難い存在です。
この世界の成り立ちを知りたいとか人間とは何か、は、なかなか分からない。もともと分からない。
分からないから誰もがあちこちからアプローチしている。
自分がどの道に出会うかは誰にもわからないし、お釈迦さまもイエス様も本物に会ってないから、先生もわからない。
こっちこっちなんて旗をふって言えないでしょう。
ここから探究します、と思っても、誰にもその先はわからない、いわゆる、一寸先は闇??
今朝の新聞に小説家の西加奈子さんが、飼い猫に対して自分が提供するシアワセは猫にとって幸せかどうかわからない、
だって猫はしゃべらない、猫のプロにだって、誰にだってわからない、
だから私は、とにかく自分が思う猫の幸せを全力で提供するしかない。間違っているかもしれないし、お門違いかもしれない。でも、とにかく信じたことを、愛を持って全力でやるしかないのだ。そして、それがもたらす結果に対して、自分で責任を取るしかないのだ。
と書いていました。
本当だなあ。
おそらく、誰もがそう、仕事をするにも、家庭を守るにも、恋愛をするにも、介護をするにも。
きっと、誰でもそれしかできないものね。
だから、それでよいのだ。
