情報よりエネルギーを見よ、ということを I Medic & Art の伊東先生がおっしゃる、ということを書きました。
それは例えば、
「阿呆かいな!」と言われたとします。
その アホ ! を言った時の気分が、イライラむかむかしてのアホ!なのか、
はたまた、あらま、なに言ってるのかしら、しょうがないわねぇ…(smile) なのか、
その言葉を乗せて運ぶエネルギーの質によって、同じことばが全然違うものになる。
もしそこで「阿呆」(例が悪いかな???)ということばにフォーカスしてしまうと、
あ、私のことアホって言った、阿呆とはなにごとだ!! そういう君こそ… あれこれあれこれ…と
その言葉がきっかけになって10のモノが100くらいまで膨らんで、あげくに怒り心頭なんてことにもなりますが、
そちらではなく、そのことばの纏った空気(エネルギー)を読み取ることで、
余計な争いやイライラの罠に陥らずに済むのだそうです。
然り。
「そういうのって、男だなって思う」とか「あぁ、女だなぁって感じがする」というような表現は、
なかなか微妙でありまして、前後の会話の内容もありますが、良い意味だったり批判を込めていたりします。
今日、友達から私についてそういった微妙な表現で私自身としては意外なことを言われたのですが、
以前の私だったらきっと、言われたことを気にしてこねくり回して(笑)3日間くらいそれについて考えてしまったかも。
なぜならば言葉だけが私の中に印象として残っただろうから。
でも「あら、そうかもね」でおしまいになり、逆に、よく見ているなぁ、さすが友よとさえ思いました。
おそらく友達には、私を批判しようとかやり込めようとか、そういう魂胆(笑)が微塵もなかったからだと思います。
言葉の纏った空気をとらえる感性は大切。
フェアで中立の位置も大切。
毎瞬、ドアは開いているから、まずは実践。
