「君がここにいる間、我々は毎朝、勉強の時間を設けよう。これは君にとって新しい体験になるだろう。西洋人は勉強というのは、情報を集めたり、知識を得ることだと思っているようだ。しかし、知識は得ることはできない。このことをよく覚えておきなさい。知識は自らが得るものではなく、与えられるものなのだ。それは君に与えられるべき時に与えられるが、実はそれはすべてすでに君の中にあるものなのだ。教育、つまりエジュケーションという言葉は、ラテン語のエジュケアという言葉に由来している。エジュケアとは、生じる、あるいは産む、という意味なのだ。つまり、外側の情報源から、外部の情報を頭につめこむという意味ではないのだ。私が言う勉強とは、君の中にあって生まれるのを待っているものを解放してやるために、愛と意識の基本的な真理を学ぶということなのだ。君が熱心に学べば、理解は自ずと深まってゆくだろう。しかし、この道で学ぶためには、君はまず、準備を整えなければならない。それでまず練習をするのだ。君は三つの世界、すなわち思考の世界、感覚の世界、肉体の世界のバランスをとることを学ばなければならない。勉強とは頭の中であれこれと考えることではない。もし、頭だけで勉強したら、概念だけにとらえられてしまう。もし感覚の世界だけで学んだら、あらゆることを感じるが、方向性を失い、ふわふわした状態になってうろつくことになろう。もし体を鍛えるために肉体的訓練ばかりしていたら、地上的な感覚しかなくなって、高い精神を保つことができないだろう。大切なのはそのバランスなのだ」
ラスト・バリア— スーフィーの教え— ルシャッド・フィールドより
私がこのブログを書くのは、日々のメモのようなものであり、時に告白(笑)、時に意味不明 (苦笑)
文章が上手ではないので、意図をしばしば伝えきれませんが、
書いているうちにたまに私が考えて絞り出した何かではない何かが、ふと伝わるものかもしれないと思うことがあります。
西洋画は画面の中にものを描くけれど、日本画は画面の中に空間を描く。
空間は目に見えないけれど、それをいかに描くか。
彫刻を見る時の面白さは、その周りにどんな空間が在るかを見ること。
余白こそ見るべき方向。
本質を実現しようと決めたら、すべての風はそのために吹きはじめる。
それを信頼して、忘れたらただ思い出そう。
