もうすぐ七夕ですね。
去年の今頃はプロトマニアは単なる私の「妄想」でした。 一年があっという間に過ぎたことを感じます。
七夕が近いからかしら?(こじつけですね)、この数週間というもの、懐かしい人たちとの偶然の再会や
もの・ことのリセット、リスタートがぽつりぽつりとやってきます。
30代では味わえなかったこと、40代で味わえたこと、今だから落ち着いて見えること。
からだはこれからもゆっくりと朽ちていくのだろうけれど、年を重ねるっておもしろい。
いつかここに書きたいと思っている佐々木閑先生(花園大学教授)のコラムに、こんなものがありました。
年をとれば、残りの寿命は減る。体は衰え、記憶も薄れ、背後から死の薄闇が忍び寄る。 しかしだからこそ、年をとった人は、その切ない状況を、わが身のこととして確実に感じることができる。年をとった人には、元気はつらつな青少年には分からない、「人生の本質的な苦しみ」をおのずから感得する力が生まれてくる。肉体が衰えていくからこそ、そこに宿る心には、生きることの本質を見通す洞察と、そこから生まれる他者に対する深い優しさが備わってくる。それは、年をとることのなによりの恩恵である。(中略)
お年寄りはなぜ偉いのか。それは、生きる辛さを知っているから、そしてその辛さを抱えて生きる中で、智慧と慈悲の意味を本当に理解しているからだ。年をとることそのものが修行なのである。(日々是修行より抜粋)
先日、テレビでサッカーの本田圭佑選手のドキュメンタリーをやっていました。
26歳の本田選手は、
「自分の人生は順風満帆ではないが、何年かに一度神さまがプレゼントをしてくる。辛い間それにめげずにやっていると必ず克服できる瞬間がやって来る。自分はそれがわかっているからがんばれる。辛いことを辛い面で見るのではなく、チャンスと見る、その切り替えを早くしてそれを習慣にしてください。そして自分を好きでいること」 と、だいたいそんなことを言っていました。
若いひとにも若くない人にも、
生きているからこそ、ここにいればこそ味わえる、あれやこれやがあるのですねぇ。
