共感

kuchinashi

私は美術関係の仕事をしているので、絵画から陶芸家の作品までいろいろとお客様にご紹介しては買っていただいています。

最近よく陶器を買って下さる30代の女性、少しずつ個人的なお話をするようになったのですが、

ある時、ちょっと困った笑顔でこんなことをおっしゃる。

「こういうきれいなものを見ていると本当に気持ちがいいの。

どんな風にお茶のおもてなしをしようかとか、この器にどんな花を生けようとか…  考えている間は嫌なことを忘れられるんです。

そうじゃないと気持ちがイライラして誰かに意地悪したくなっちゃうでしょう?

それは周りのひとにも迷惑だから、こういうのに出会って本当によかったの。」

 

そうか、イライラすると意地悪したくなっちゃうのか …

私にそんなことを言う彼女はまぁなんと正直なことか。こんな人はどこかが不器用なほどまじめで純粋なだけなのかもしれません。

私は専門のお医者でもセラピストでもありませんから、こんなお話にただ、うんうんと耳を傾けることしかできません。

彼女はきれいなものを買って、それを使ったり眺めてイライラした気持ちをおさめたり、紛らわせているのかな?

それも美しいものの「役割」ではありますが、その彼女の気持ちの根っこには何があるのかな?と考えてみます。

 

人間の根本的な欲望は、あるスケールで分けてみると、

承認欲  支配欲  至福欲  に大きく分かれるそうです。

もちろん、生存欲や食欲、睡眠欲などなどという身体的見方もあり。

でも、このシンプルな3つにはなるほど、と大いに頷けます。

ひとは誰かに認められ必要とされたい、自分の思い通りに相手に反応してほしい、自分がコントロールしたい、何はなくとも幸せでいたい…

ひとつひとつの具体的な願望を分類すると、確かにこの3つのグループに入っていて、思い当たるところがあると思います。

私は承認欲が強いかな。いや、支配欲も意外と強いのかも(苦笑)。

欲望は悪いことではなく、それに振り回されなければよい、とヨガの先生が言っていました。

人間は欲望を持っているから進歩してきたのでしょうし、

想像するに、先の彼女の「欲」と私の「欲」は同じようなものです。

 

私は美術のしごとをして来ましたが、何千万円もする美術品を扱うすごい画商さんでなく、ひと呼んで「売れない画商」。

有名無名に関係なくアートを普通の生活の中に取り入れて心豊かに暮らす、ということが昔から自分のやりたいことでした。

それと同じく、私がプロトマニアでやりたいことは、崇高でアカデミックな哲学ではなく、聖人になるための修行でもなく、

今ある普通の生活の中で、私たち人間がその肉体をしっかりと生きて行くためのちょっとしたコツ、ちょっとした智慧、視点の変化、

落ち着いて自分自身と向き合うゆるやかな時間、きっかけとなることを、共感する人たちと相互作用で発生させることです。

 

なにごともキューっと偏らないように、まずは入口に立ってみるところから。

私のヨガの先生はお肉も食べるし、ちょっと前まではタバコも吸っていました。

ベジタリアンになれとは言わず、お肉も食べた方がいいよ、と言います。

そういうことを言う先生を私は信頼できると思いました。

仏教発祥の地インドでは、命を持っているものは動物までで植物は命を持っていないと考えるそうです。

だから植物は食べてもよい、ということ?

日本では草木や国土までもに命がある、生きとし生けるものとしています。

…  ね、ちょっと離れて見たり、どれどれ?とよく調べてみると、

実は聞いたり思っていた話と違っていたり、実は根拠がなかったりすること、思い込みってけっこうあるものです。

共感は大切、でもだからこそ妄信しないで、信じるな、疑うな、確かめよ。