日曜の朝刊の書評に、梅原猛さんの「人類哲学序説」という本が紹介されていました。
哲学というと、言葉が難しくて、何が書いてあるかわからなくて、理屈っぽくて、
あまり現実的じゃなくて、お金も儲からない感じ、そんなこと考えても仕方ない感じ。
どうもそんなイメージがあるのですが、どうでしょうか。
哲学とは、愛知(フィロ・ソフィア)—「知を愛すること」でありますが、これは、ただ漠然とした好奇心というのではありません。もっと厳しいものです。知というのは、真実を明らかにする、ということです。真実を明らかにする知を愛する。その知というものは、ある種の歴史性を持っている。また、普遍性を持っている。哲学とは、歴史の中で人間はどう生きるべきかと問い、その思索を体系化するものです。しかも、それを自分の言葉で語る必要があります。(梅原猛 人類哲学序説より抜粋)
そういう学問が西洋哲学だそうです。
ただ学問でなくても、人間とは何か?は誰もが考えるけれど、だいたい途中でやめます。
考え抜くことを選ぶのか、はたまたそういう風に生まれつくのかはわからないけれど、それを一生のしごとにする人もいる。
この世の真理がわかったら、死ぬことも生きることもへっちゃらになるのか?ということですが、
禅画で有名な仙崖という偉いお坊さんが亡くなられる時に、お弟子たちが良い言葉を残してくださいとお願いしたら、
「死にともない、死にともない」と言われたんですって。
お弟子たちが「あなたほどの偉い方が、死にともないなどとみっともないことを言われては困ります。もっと気の利いたことを言ってください」
とお願いすると
「ほんまに、ほんまに」とおっしゃったのだそうです。
普通の人がいまわの際に「死にたくない!」というのは変哲もないことでしょうが、
もう生も死も越えてどちらにも執着がない悟りが開けた高層が言う「死にたくない」ほどの風流はないではないか、というお話でした。
面白いお話や書かれた本は数々あるのですが、読んでも聞いてもそれはそのものではないところがミソ。
