30代の頃、私は現代美術画廊に勤めていました。バブルは過ぎていたものの、次々に新しいビルが建てられ、パブリックスペースに大型の作品が収められるような時代でした。その画廊で私に求められていたのは、大手ゼネコンなど建築やインテリア関係の会社にアートを売り込むことでした。
結構、頑張ってやっていましたが、もともと性に合わない売り込み営業を一人でやっていたし、公私共にストレスを抱え、好きな美術が好きではなくなってしまっていました。表面的には調子良くやっていたと思いますが、内心、苦手なことに挑戦するつもりで無理していた時代です。
ある時、仕事中に竹橋の美術館に行くことがあって、企画展覧会展を見た後、ふらふらと常設展示のフロアに寄りました。とってもくたびれていて、身体も足取りも重たかったと思います。
その時、パウル・クレーの絵の前で立ち止まりました。ご存知の方も多いと思いますが、《 花ひらく木をめぐる抽象 》という小さな作品でした。
その絵の前で私は、しばらく動けなくなって涙こそこぼれませんでしたが、瞳はウルウル、胸が熱くなりました。その絵の前で全身の力が抜けていって、圧倒的に言葉を失ったのでした。そんなドラマみたいな話、聞いたことがあるけれど、それが自分に起こるなんて思ってもみませんでした。一枚の絵の前で動けなくなるなんて、後にも先にもあの時だけかもしれません。

パウル・クレー作《花ひらく木をめぐる抽象》
油彩・厚紙 39,3×31,3cm
国立近代美術館蔵
様々な要因が重なって、その体験がありました。あのとき確かに、カサカサになっていた私の生命の源にクレーの作品からエネルギーがじわじわと流れてきて、カサカサを潤してくれたように思います。
言葉にならないそのことは、言葉ではない絵画のちから、芸術のちからではないかと思います。
