ようやく庭の梅が本格的に咲き始め、母が亡くなってから一年が経ちました。
わりあい長い間、老母のお世話をしていたので積年の疲れがどっと出ました。それで去年の大半は、自身の調子を整えることを優先しながら過ごしました。
とはいえ、仕事があるし、やること、やらねばならぬ社会的な雑事が次々にやって来ます。人が一人この世界からいなくなるというのは、なかなか大変なことですね。そして、つい物事の早さや外からの要望に合わせて動こうとしてしまうのです。が、そんな時に私のそばにいる人が耳元で「もちゅーもちゅー(喪中)」と囁いてくれました(笑)
そのささやきに助けられながら、私は急がずがんばらず、焦ることなく、カラダの声と感じたことを優先して過ごしました。そのようなゆっくりしたペースを自分に許して、休んだり、ちょっとサボることを実行しました。「今は、特別な時期なのだから、与えられた状況に自分を合わせてみよう」と思いました。大人なんだから・・・とか、早く元気になって前に進め!とか、そんな声は、聞こえても放っておきました。
今の世界は、なにごともスピードが早いので、普段ほぼそれに巻き込まれていますが、”もちゅー”の一年は、そんな世界とは少し距離をとって離れていることを続けました。日常は相変わらずですが、そのどこか静かで内省的なもう一つの世界は、休息と自分との対話と新鮮な発見に満ちていました。
動物は、怪我をしたり具合が悪い時は食べずにじっと動きません。それが一番早い回復への道だと知っているからだと思います。じっとしていることには、何かすることよりすごいエネルギーが秘められているのでしょう。身体が元気になると今度は後悔や悲しみも浮上しますが、それらを味わえるだけの奥行きができています。この特別な時間に身を投げ出して委ねたおかげで、身体も精神も在り方も、自然と整うべきところへと整って行っているように感じます。その「自然」への信頼が深まった気がします。

私の耳元で囁いてくれた友のように、私も誰かにそうしてあげたいなぁと思っています。