
私は珈琲好きです。
我が家では父が珈琲好きで、原稿書きをしていた父は朝、儀式のようにゆっくり珈琲を淹れてから仕事をしていました。それは、今も目に浮かぶ懐かしい光景のひとつです。
いろいろ豆を試しながら飲んで珈琲の味の好みがはっきりしたは、深煎り濃い目。
そして、あれこれ買って落ち着いたのは遠くの珈琲屋さんから届く超深煎の豆。
つい先日、また豆の注文をしようと思って連絡したら、なんといつもの豆が販売終了になりましたと!
残念〜〜〜!私にとっては世界一美味しいコーヒー豆なのに・・・
珈琲おじさんは、その品種に一目惚れして数年前に500キロも仕入れていたのだそうです。でもそれが尽きてしまった。その豆を作っているのは、現在、内戦状態の地域農園のため、再開はほぼないと思われると。そして、あれは幻の品種、幻の農園だと惜しんでいらっしゃいました。
内戦状態の地区・・・
それを聞いた時、急に戦争がリアルに感じられました。普段、自分が生活しているこの平和な東京で飲んでいたおいしい珈琲は、内戦の国から来ていたのだ・・・

日常で食べたり飲んだり、着たりしているものが、少なからず、他の国の複雑で危険な環境に暮らす人達の手によって作られたものだったり、それを利用させてもらっているのだということを、最近は知るチャンスが多くなりました。地球環境について、危機感とともに報道され、多数の本が出版されています。
そういう情報はアンテナを張って受け取ると同時に、身の周りをよく見て、考えて選んだり買ったり、普段の暮らしを見直して実際に変えようと思います。小さなことでもいいと思います。政治や経済は複雑かもしれませんが、自分ができることは案外、単純ですぐにできることがある。何ごとも大きな問題について批評するより、小さなそれをやるかやらないか、それが大切じゃないかなって思います。