昨日、「ゆっくりする」というタイトルでジャーナルを書きましたが、私はこれまでも時々「ゆっくりする」を書いています。
現代の生活は、ギュッと集中して力を入れて、スピーディーかつ合理的にものごとを処理することをよしとして来ました。
私もかなりそれに合うように自分を励まして自分なりに社会のリズムに順応していましたが、ヨガで力を抜くことを大切にしたり、呼吸法を学ぶ中で吸うよりも吐くことに意識的でいることが身につくうちに、自然っていうことがどういうことかを、ちょっとずつちょっとずつ取り戻した気がします。そんな過程で、急ぐばかりではなく「ゆっくりする」ことの効用を感じて来たのだなぁと思います。
今、ゆっくりすることの中には「good news」とは違う、年齢による経年劣化がもたらす「ゆっくり」も現れていますが、これから出会ういろいろなことはすべてが初体験になるので、ちょっとおもしろそうだなと思っています。
頭の中のおしゃべりは、年齢を重ねることの不自由さや怖さ、辛さについて言うかもしれませんが、私には、人が老いることの大変さや切なさと一緒に、人間の底力や愛らしさをその瞬間、瞬間、感じてみたいというワクワクする気持ちがあります。
これだけ真理の探究をしてきたのだから、なんでもウェルカムしなくっちゃね(笑)

ひとつひとつできないことが増えていく。そのときに、桜の花が散るように執着が消えてゆき、無駄な抵抗をせず、受け入れられるようになってきました。一言で言うと解放に向かっているのだと思います。と玉三郎さんが重ねて言っております。非二元のようですねぇ♪
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老いを受け入れられるのか、これまでは当たり前だと思っていたことを諦められるのか?その覚悟が大切。
ということを板東玉三郎さんが書いておりますね♪
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なるほど〜芸を極めてもそうでなくても、だれにも老いと死は平等にやってくるわけですものね。覚悟の仕方はひとそれぞれ多様でいいんですね、きっと。
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