共感と承認

プロトマニアの荒川陽子です。今日はふと思ったことを書きますね。

人生のいろいろな場面で、共感してほしい時ってあります。悲しい気持ち、嬉しい気持ち、相手の想いに共感するってことは、どういうことなんだろう?

・・・相手の言うことに耳を傾けて理解したり、一緒に感じようとしたり、頷いて同調する。でも本当は全く同じようには感じていないし、感じている気になっていたとしても、思い込みかもしれない。丁寧に考えたらわかるけれど、そもそも相手がどう感じているかすら真の意味ではわからない。

そんなことを思っていて、ふと、私にとって、共感とは承認だと発見しました。

本当に共感してほしい時って、ただ「そうだね」って言ってほしいだけ。そのまま承認してほしいのです。何か言葉で慰めるより、ただそのまま、なるべく考えや思いをいれずに聴いてくれることがとても助けになる。それは名前を変えると「承認」ということなのだと。共感には言葉(思考の目)はいらないのです。

言葉って、わかったつもりで何気なく使っているけれど、だいじに扱わなければと思います。たくさんの綺麗な言葉は人をうっとりさせるし、一言で相手を撃ち倒すような言葉の使い方もある。

言葉に溺れず、言葉を慎み、この世界を味わいたいと思うのでした。

 

 

 


共感と承認」への1件のフィードバック

  1. 確かに、人は承認を求めていますね♪
    私は在る!
    すでに言葉にならないものに人は承認されているのに、人から承認してもらおう!としてきたのが人の歴史かもしれませんけね♪
    二サルガダッタ マハラジが、
    ただ在りなさい!あなたのすべきことはありません!
    と言っていたのに。

    いいね

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