
今日もセミの大合唱。
さて、今月の中尾陽一先生白熱講座のご案内文が届きました。
今月は、『放浪の天才画家 長谷川利行』です。現代社会にはもう存在しないだろうな〜と思うような絵を描く人。長谷川利行の絵からは、その場の音や温度、空気のような形ではないものまでが感じられるような気がします。
それでは先生のご案内文をどうぞ。
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第73回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》
放浪の天才画家 長谷川利行
次回の白熱講座ではいよいよ放浪の天才画家《長谷川利行》 をとりあげます。
放浪の天才画家と言うと聞こえはいいのですが、長谷川利行の愛好家の間では乞食画家とも呼ばれています。生涯定居を持たず、昼間は路上で風景を描き、夜は安酒で酔っぱらい、お金がなくなったら友人、知人間を渡り歩いて、絵を押し付けてはお金をせびるという行状を繰り返していましたが、最後は荒川区三河島の路上で行き倒れになり、板橋区の養育院に収容されたものの、胃癌の手術を拒絶し半年後に亡くなるという壮絶な人生を送りました。享年49歳です。
ところで長谷川利行はいつ頃の人かというと、1891年(明治24年)京都生まれ、去年の8月にこの講座でとりあげた岸田劉生とまったく同じ年に生まれています。ただ、劉生とは違って長谷川利行はいつ絵を描きはじめたのか、誰に絵をならったのか、はっきりわかっていません。
若い頃は文学を志し、同人誌を発行したり歌集を出したりしています。30歳で上京してからも大衆小説を書いたりしていましたが、32歳の時に第4回新光洋画展に《田端変電所》を出品し入選しています。おそらく30歳くらいから絵を描き始めたんでしょうね。
また、長谷川利行はいわゆる速筆画家の最右翼です。通常1〜2時間で油絵を完成させたようですが、板橋区立美術館蔵の《水泳場》(90.9 x 116.7 cm) などは30分で仕上げたとも言われています。この早描きにより、長谷川利行の絵には独特の動きと揺れが感じられます。時間の変化が一瞬の早業で画面に定着されかけて、さらに動きを止めないといった風情の不思議な絵です。次回の白熱講座では長谷川利行の絵から伝わってくるこの不思議な感覚を楽しみながら、長谷川利行の絵について語り合いましょう。
水泳場 1932年 板橋区立美術館蔵
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