何もないとも言えるし、全てがあるともいえる。

 

私が今読んでいるのは、カルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』です。

カルロ・ロヴェッリは、イタリアの理論物理学者で、現在はフランスのエクス・マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いているそうです。

この本は一般向けに書かれていて、私でもスイスイ読めます。翻訳(冨永 星)がとてもいいのだとも思います。

青空禅で伊東先生が私たちにくれたチャンスは、まず、これまで信じて疑わなかったことは本当に本当なのか?という疑問を持つチャンス。先生は既成概念に揺さぶりをかけるような科学的事実のエッセンスをいろいろ教えてくれました。当たり前だという信念に、ほんの少しだけ揺らぎとスキマが生まれる。そこから青空への道案内は始まったのでした。

 

カルロ・ロヴェッリの文を抜粋しますね。

・・・たとえば「テーブルが一つ見える」という言い方ができる。つまり、いすが一脚、ペンが一本、天井があって、それらと自分の間には何もないといえる。ところが、テーブルと自分の間に空気があるともいえる。空気に関しては、それが物であるかのように話すこともあれば、物ではないかのように話すこともある。そこにあるものとして語ってみたり、そこにないものとして語ってみたり・・・。コップが空気でいっぱいだというかわりに、「このコップは空っぽだ」ということに慣れているのだ。自分たちのまわりの世界を、物があちこちにばらばらとあるだけの「ほぼ空(から)」だと考えることもできれば、空気で「完全にいっぱい」だと考えることもできる。結局のところ、アリストテレスとニュートンは、形而上学に関する深遠な論戦をしたわけではなく、わたしたちがまわりの世界を見る際の、これらの二つ直感的で巧みな見方ー空気を考慮に入れるか入れないかーを駆使して、そこから空間の定義を引き出しただけなのだ。

『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著 冨永星訳 NHK出版

第一部 時間の崩壊 第四章 時間と事物は切り離せない P074から抜粋。

 

素朴な疑問を持つ。問いを立てる。わかったつもりでスルーしない。

センス・オブ・ワンダー。

 

何気なく使っている「言葉」が、本当は何を指しているのかをもう一度確かめてみよう。

言葉以前にあるものが何か?

それを言葉にしてしまわずに、ただ感じてみる。

 

*伊東充隆主宰  第31回青空禅塾 2月2日(日)13時から17時

 

 

 

 

 

1 comment

  1. 思いどうりにいかない!
    という時に、なぜ?と原因を探したり、
    引き寄せの法則に向かわず、
    先生の言うように前提を見る。
    思いどうりにいかない!と言っているのは、雲!
    青空は、雲がどこに行こうが、関係ない!
    雲は、風に吹かれてゆくだけ。

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