その道を本当に味わっている人は、道草をくっている人。

 

中沢 修行者だって、山の中に籠ってやっているうちはいくらでもできるんですよ。人間の心というのは面白いもので、とことんまで行けるんですよね。いちばん問題なのは、やはり戻ってきた時なんです。

河合 そうでしょうね。

中沢 その時に見ていたものを、この現実生活のなかでどうするのかということが、いちばん大きな問題なんじゃないでしょうか。ですからそのためには、現実というものがどういうふうにつくられてくるかということを徹底的に分析する。これは本当に科学なんですね。徹底的な自由と言われているものから僕たちの世界がどうつくられてくるかということを、まずよく理解すること。それから、日常生活のなかで、いつでもそれを適用できる訓練をするわけです。日常行動とは違うところから自分を見る訓練をさせるんですね。つまり、一種のアルター・エゴをつくるんでしょうね。アルター・エゴの場というものを、修行のなかで体験した意識の自由状態というものと合体させていく訓練をしていくということだと思います。

河合 それはやはりすごく難しいことですから、森の中ではすごく素晴らしい人でも、降りてきてガタガタということもあるんじゃないですか。

中沢 ほとんどそうなんじゃないですか。それが怖いから、みんなお寺に籠っているわけです。

河合 もう出てこないわけですか。

中沢 ええ。たとえば密教行者の人たちは、お寺の中に籠っている出家したお坊さんのことを、たしかにいろいろな戒律を守っていて偉いとは言うけれども、一方では大したことないと思っている部分があるわけです。というのは、密教行者の人たちは日常生活をやっていますから。俗人ですから、奥さんもいるし稼がなければならない、それで飴売りとかいろいろなことをやっているんです。けっこう情けない商売をしている(笑)。僕の知っている偉いラマなんか、娘と母親を両方とも自分の奥さんにしてしまったんで、もう大変なんです。それで、しようがないから仕立て屋やっている。一日ミシンを踏んでいますよ(笑)。そういう情けない作業をしているんだけど、この人はじつは大変な覚醒者なんですね。ですから本当に大変なのは、日常のそういう暮らしのなかで、自分が体験したものと全体性をもって生きることができるかどうかということなんです。それが恐い人は、お寺に籠っているほうがいいと。

 

「ブッダの夢 河合隼雄と中沢新一の対話」汎神論風夢理論のこね方  夢は道草 P229〜より抜粋  河合隼雄 中沢新一  朝日文庫 

 

 

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1 comment

  1. 確かに、無原罪聖母修道院に隠っている時は、ずっと沈黙していて、心の平穏を感じられるのですが、日常生活に戻って来ると、元の木阿弥。1ヶ月隠ると、違うようですが。

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