梅雨入りして雨がしとしと降る東京です。
さて、中尾先生から6月の絵画鑑賞白熱講座のご案内文が届きました。6月は、中尾先生講座では初となる写真家を取り上げます。ロバート・メイプルソープです。
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第61回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》
エゴン・シーレ(続き)& ロバート・メイプルソープ
記念すべき第60回のエゴン・シーレは先週の日曜日に無事終了しました。
第60回の講座では、同じく《生と性と死》を見つめながら、装飾性という隠れ蓑にそれらの本質を覆い隠したかのようなクリムトの安定した様式に対し、いっさいの虚飾をはぎ取ってなお、皮膚を貫き、本質を抉りださんとするシーレの神経質で強烈な線描表現に、衝撃と魅力を感じた方が多かったようです。
そして、いつもなかなかに鋭い見方を提示するSさんの「シーレの絵は私には強迫観念神経症の人の絵にしか見えない」との発言には少々驚かされました。シーレの父親は彼が14歳の時に進行性麻痺(梅毒が原因?)で亡くなっていて、数年間は精神障害で仕事もできなかったので、父親の晩年がシーレのトラウマになっていた可能性は大いにあります。となると、話はアール・ブリュット(アウトサイダー・アート)へも発展しそうですが・・・
シーレ シャツを着た自画像 1910年(左)と首を傾げた自画像 1912年
この発言に関連して、私からは、シーレの絵の登場人物が体を反らしたり、指を突っ張ったりのいわゆるカタレプシー(強硬症)的なポーズをとっていることについて、パリのサルペトリエール病院で撮影されたヒステリー患者の写真集を参考にしていた可能性や、パントマイマーでもあった芸術家仲間のドン(エルヴィン・ドミニク・オーゼン)の影響などが指摘されていることを紹介しました。
踊り子モアとドン(ドミニク・オーゼン) 1910年頃
シーレ 《ドミニク・オーゼン、手を交差させた裸の男》 1910年
あえて、シーレのネタ元探しのような話をしたわけですが、シーレの類い希なデッサン力で意図的に構築された世界とアール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の世界とはまったく違うというのが私の見方です。
また、いつも好き嫌いをはっきり発言されるKさんから、「シーレの表現は今まで見てきた画家の誰とも違ってユニークだけど、どこから来ているんでしょうね?」という発言もありました。
次回の前半は、SさんとKさんの発言をテーマとして、参加者全員で議論してみたいと思います。たとえば、同じ世紀末に類い稀なデッサン力で人物表現をしたロートレックとシーレの違いを考えて見るのも面白いと思います。
さて、次回の後半はメイプルソープをとりあげます。
この講座61回目にして初めての写真家です!
なぜ、メイプルソープかというと、第60回のエゴン・シーレのためにあれこれ考えていて、はたと、エゴン・シーレとメイプルソープの共通性に気づいたからです。
1989年、42歳でエイズにより亡くなったメイプルソープは、シーレと同じように《生と性と死》を隠すことなく真正面から捉えたアーティストです。その真正面性、あまりにどぎつい同性愛描写ゆえに多くの批判にさらされました。シーレがそうであったように、スキャンダラスでショッキングなアーティストの代表でもあります。そして、シーレと同じように自己をみつめることに執着し多くのセルフ・ポートレートを撮っています。また、花、人物、ヌードなどのテーマでは「完璧な瞬間(パーフェクト・モーメント)」を求めて、静謐で調和のとれた古典的世界を構築しています。
ところで、私は過去2回メイプルソープの展覧会企画に従事しました。1回目は1996年の《ロバート・メイプルソープ》展、2回目は2001年の《百花乱々》展(花をテーマにしたメイプルソープと荒木経惟の二人展)です。
実は、1992年に東京都庭園美術館で開催された《ロバート・メイプルソープ展》を見て衝撃を受けて以来、展覧会プロデューサーとして、いつかメイプルソープ展をやりたいとの思いを抱いていたのですが、その機会はわりと早く、それもまったく思いもかけない形でやってきました。
後半はそのあたりのお話から始めたいと思います。
エゴン・シーレ〜ウィーンの続きとロバート・メイプルソープ
2019年6月23日(日)13時から15時30分
お申し込みは、こちらからどうぞ→