普通のものとは、・・・〜バーソロミュー

普通のものとは、〜バーソロミューの言葉。

 

私が「普通」という言葉を使うとき、それは凡庸という意味ではありません。そこには大きな違いがありまs、この二つはまったく違います。凡庸とは、ありきたりでつまらないということです。凡庸とは、ある意味で、意識のパワーを何かに対して使うということをしていないので、ダイナミックで美しさに溢れて、生き生きとした創造性豊かなものは何も生み出していないということです。自分自身や自分の意識や人生が、凡庸であることを望む人はいないでしょう。

「普通」というのは、これとは大きく違います。普通とは、複雑でないシンプルなといういみに解釈してください。ではこの「普通」の定義をどのように使えばいいでしょうか。

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自分以外のものになろうとするとき、人はその瞬間の感情を殺しています。優しくしようとか、正しくあろうとか、陽気になろうとか、人を説得しようとか、少しでも無理をしているのなら、とにかくその努力を「解き放ち」、その瞬間のありのままの自分になってください。自分自身になるだけでいいのです。なぜなら、あなたは私たちがこれまで話してきたこと   光であり、喜びであり、誰も傷つけないものであり、愛であり、心の平安であり、受容であり、あなたが考えつく最高の資質すべてであり、それ以上のものなのですから。

「普通」であることがその答えです。それぞれの瞬間に「シンプル」であろうとすると、どのようにして全てを解き放つかということがわかってきます。解き放つことによって、それまで自分を縛りつけてきたエネルギーが放出されます。残ったエネルギーは、もっと創造的な面に使うことができます。相手に操られているのではないか、他意があるのではないかという不安を相手に抱かせずに、人が安心して自分と関わることができるように、自分のまわりに好意的で素直な雰囲気を持っていたいと多くの人が願っています。普通であることがもたらす驚くべき力を、自分自身が感じることによって、他の人も自然でいられるような、そういう雰囲気を創り出すことができます。

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そして、この普通のものとは、愛であり、” 大いなる一 ” であり、光であり、心の平安なのです。普通でない特別なものとは、「普通」の枠外へ出て、それよりも偉大であろうとするエゴの働きなのです。私があなたに考慮して欲しいのは、特別でありたいという、こうした欲求を人生から捨て去ることです。

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普通であることによって、あなたは人生の主流に身を置くことになります。普通であることは、平等であることです。どうかこの概念を無視しないでください。普通であるとはどういうことなのかを、最も深い意味で理解すればするほど、あなたはより多くのエネルギーを持てるようになります。

 

『バーソロミュー2 夢から目覚める』普通の人生を生きる  P179〜184 より抜粋 
バーソロミュー 著 ヒューイ陽子 訳 ナチュラルスピリット刊

 

少し長くなりましたが、バーソロミューが伝えようとしていることの大枠が伝わるかな。バーソロミューは、何度も繰り返し読むことをお勧めします。

ただ、それぞれの人に合った表現や内容があるから、どれでも自分が一番気に入ったものを使うのがいいですよね。

先生たちも、本のことばも、結局は道しるべです。それはどういうこと?という疑問の応えは、自分が実際に確かめてみた上での正直な感覚が大切だと思う。ピンと来るまで諦めずにあちこちから疑問に取り組む時、自分がどう感じたかを丁寧に確認することが大切なんだな〜って、最近また思いました。

 

*静かなる心、という贈り物

伊東充隆主宰  第22回 青空禅塾

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*バーソロミューと青空と雲。

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