昨日の東京はちょっと雨、そして曇りへと台風前の少し重い空でしたが、伊東先生の青空禅塾、開催いたしました。
まずは先生のお話でスタート。最初の先生の投げかけは、これに尽きる!お話。
今、椅子に座っている身体、オシリの感覚、
座っているという思考、
ありますよね?
では、私は座っているでしょうか?
あるのは、
感覚という対象に気づいている
思考という対象に気づいている
在るのは「気づいている」。気づいている方に「私」はあり、気づいてるのが源の「私」です。
最もシンプルなそこに戻る。それには努力はいらない。すでに無努力でただ気づいているものね。
と先生。
・・・・ここまではオーケー。さて、そこで問題なのは、それは青空禅塾の場で先生や参加者の皆さんと一緒の時には、そうだそうだと頷き、納得し、わかってるわ〜もうそれは知っている〜つもりでいますが、家庭、仕事、社会・・・日常生活に戻ったらどうでしょうか。
大体は、そのことを忘れて、それまでと同じように目の前の対象に釘付けになってしまいますよね。すぐに何かの対象、例えば、誰か、何か、人間関係やものごと、考え、記憶・・・にのめり込んでしまう。あんなにそうだそうだと頷いたはずの『一番シンプルな根っこの「ただ在る感覚」に全てを還元して見ること』も、思わず忘れます。目の前の揺れ動く対象に気を取られて目を離せなくなる。
だからこそ、その一番シンプルなそれに戻す(戻すものもないのですが)ことを、いかに普通の生活の中でやるか。「一度改めて「私」の定義を明確にやり直すといい」と先生がおっしゃっていました。そして探究と思わず、ふと確認することだよとニッコリ。先生はコツを伝えることを忘れない!
その後は、参加者との対話や時間と空間のお話、点を打つこと、何にも依存しない在るとは?、見るものと見られるもの、見ることそのもののお話・・・・という具合に広がっていきました。これまで何度も聞いたことが、とても新鮮に感じられました。
伊東先生は、ご自身が紆余曲折されているので、私たちがどんなに方向音痴をやって来ていても、大勘違いヤロウだったことがあっても、今のその人に合う言葉でそれを受け止め、その上で変わらぬ真理をその人に戻して方向を修正します。先生との対話には安心感がある。たとえ方向音痴だったとしても、ここまで何も間違いはないのだよと先生が言外で知らせてくれるからです。そして、先生のユーモアに笑わされてふと気づくと、言葉は真剣でその真意にブレが1mmもなく、どんな問いかけの答えも全てまっすぐ源へ向かっていることに気づかされます。
秋になったら、また先生とお食事会もやりますよ〜ぜひ青空禅塾、ご一緒しましょう。シンプルにシンプルに良寛さん♪(笑)
昨日のお花は、庭のゼラニウム、ツユクサ、ハート型のアイビーとユーカリの葉
*何にも依存しない在る
2018年 10月7日(日) 13時〜17時 開催
お申し込みは、こちらからどうぞ→