私、小学生の頃にパリに憧れました。学校の図書館で「フランス・パリ」っていう写真集のような本を借りては返し、返しては借りて独り占め。そしてパリの生活を空想しながら、パリを舞台にしたベレー帽の絵描きの女の子の漫画を描きました(ひねりなし、そのまんま♪)
さて、7月の中尾流は、ちょっとオシャレになりそうな予感。
エコール・ド・パリって聞いたこと、ありますか? 7月はこのエコール・ド・パリと呼ばれる芸術家たちのミューズだったモデルのキキ(って名前もいいですよね〜)と画家たち、そして作品、そして時代の空気を感じられる写真もふんだんにご紹介しながら中尾先生がガイドしてくれる白熱鑑賞教室です。
先生のご案内文をどうぞ〜〜
第51回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》
《キキ》とエコール・ド・パリの画家たち
前回、モディリアーニとジャンヌの講座の冒頭に、わが絵画鑑賞講座の最長老のSさんから「モディリアーニが属していたといわれるエコール・ド・パリとはいったい全体なんなのでしょうか?」とのご質問がありました。
たしかに、エコール・ド・パリと呼ばれる画家たちは、特別な絵画思潮のもとに集まったわけでもなく、印象派のようにグループ展を開いたこともありません。あえて言えば、レ・ザネ・フォル(狂乱の時代、Les Années Folles)と呼ばれた1920年代に、パリで活躍した異邦人画家たちということになります(もっともユトリロやローランサンなどのフランス人もいるので異邦人ばかりではありませんが)。要は、「パリ」にいたことが大事なんですね! だからエコール・ド・パリ!
ところで、みなさんは《キキ》という人物をご存知ですか?
エコール・ド・パリの画家たちのミューズで《モンパルナスの女王》にも選ばれた伝説のモデルです。キキをもっとも多く描いたのはキスリングですが、藤田嗣治の大出世作となった《ジュイ布のある裸婦》(1922年)のモデルもキキだと言われています。またキキの恋人でもあった写真家マン・レイはキキをモデルに夥しい数の写真を撮りました。
私は1998年〜1999年に北九州市立美術館、大丸ミュージアムほかで開催された《キキとモンパルナス》という展覧会に企画協力しました。そのおかげで、モデルだけにとどまらない、画家として、女優として、歌手としてのキキの活動も知ることになりました。《モンパルナスのキキ》はまさしく《レ・ザネ・フォル》をできることはなんでもやろうと体当たりで生きた女性でした。
次回は伝説のモデル《キキ》を軸に、エコール・ド・パリの画家たちのさまざまな作品を紹介するとともに、《レ・ザネ・フォル》という時代の雰囲気を伝える多くの資料写真をご紹介したいと思います。
キスリングが描いた、青いスカーフと赤いセーターのキキ。
私が撮った、いつも変わらぬクマさん笑顔の中尾先生。
*知性も感性もいっぱい使って美術は楽しむもの!中尾流〜♪
〜これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞白熱講座*キキとエコール・ド・パリの画家たち
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