
「黙して語る」という真理についての言葉を覚えているでしょうか。言葉が死んで、思考が停止したときに、” 大いなる真理 ” があなたの意識に浮かんでくるのです。ところが、人々は沈黙を怖れています。あなたは沈黙にどう反応したでしょう。ぎこちなく感じたでしょうか。沈黙を破ることが、自分の役目だと思っている人もいれば、ほかの人が沈黙を破って話した内容を聞き、それに反応するだけの人もいます。あなたはどちらでしょう。沈黙の存在をそのまま認めることができますか。沈黙の中に真理が現れるということを信じて、沈黙の状態を守れますか。
(中略)
エゴは物事を複雑にするのが好きで、狭い心がそれに拍車をかけます。その結果、人は混乱し、バランスを失い、どんな行動をとったらいいのか、わからなくなってしまいます。けれども、沈黙の中で耳を澄ますと、そこにあるものやそこにいる人をただ感じるという単純さに到達できます。そうすると、自分はどんな人間で、相手はどんな人間なのかというような概念の領域を超えて、あらゆる人間に共通するものを、そこに認めるという境地に達することができます。
自分と共通点を感じるものを人は信頼し、自分と違うものに怖れを感じます。一人ひとりのエゴは、その過去も現在も、未来に対する期待も違っているので、エゴはお互いを怖れるのです。けれども、沈黙のなかでは共通点が見えてくるので、怖れが静まり、愛や人とのつながり、相手を受け入れることに、心を開くことができるようになります。沈黙は、人を真理でないものから真理へと導き、見せかけの世界を超えて、” 一つでありすべてである大いなる真理 ” へと導いてくれます。
『バーソロミュー2 夢から目覚める』 逆境に立ち向かう強さ P166~167より抜粋 バーソロミュー ヒューイ陽子 訳 ナチュラルスピリット刊
マジメに究極の真理を理解して実践しよう!とがんばって来たのに、なんだかもう、とにかイヤになっちゃったりすることもある。そんな時は遠慮なく、そこから離れてお休みしてリラックスしましょう。優しくやわらかく、シンプルに見る、感じるへと、そっと助けてくれるバーソロミューの言葉。そこがバーソロミューのさりげなく深く、素敵なところ♪