今日はどんな一日だったかなぁ。東京は朝からどんより曇り空でした。私は思いがけず届いた友からの色鉛筆のプレゼントと、咲き始めた庭のバラに元気をもらっています。
日々、私もみなさんと同じように暮らしながら、思わぬ誤解で決めつけられてションボリすること、やさぐれること、ぷりぷり怒ること・・・気分の変化は多々あります。そんな中、実はこの前ね、見ちゃったんです・・・もともと気分には「理由」がなかったのに、後から思考が「言葉」で理由づけしようとする様子(笑)。広大無辺な青空に、気分という雲が生まれて刻々と変化する様子〜!
その時の気分のゆらゆらした揺らぎは、ミゾオチあたりがうずうずする感じでした。不安定で落ち着かない。その時ね、急に過去の記憶が出て来ました、2つくらい(苦笑)。そうしてその時なんと、どっちをつかもうか選択しようとしたんです・・・誰がっ???笑っちゃうでしょ?
ただゆらゆらするムードに、何がしかのストーリーをくっつけようとしたのが丸見え体験(=実感)でした。その後、じーっと見てたら、あれれ?気分は煙のように消えちゃった。
気分とは、青空にふっと生まれてはカタチを変え、いつの間にかしゅるるる〜〜っと青空に溶けて消える白雲の如し。
伊東先生が初めての方にお話をする時、最初に言われるのは、この「青空と雲」。先生は「ここでは自己の本質を青空、生まれては消える気分、感情、思考、記憶を雲としますね」と始めます。この「青空と雲」に言葉を変えて表現された「自己の本質」って、真我とか悟りや非二元はもちろん、大げさな神聖さとか特別さとかの余計なイメージがなくて、とても優しいでしょう? 真理の探求、真理の探究とややこしく考えて来た荒川陽子の半生にも、この優しさとシンプルさが欲しかった〜早く出会いたかった〜〜涙。
そうなんです、とても優しいんです。伊東先生のお話は、科学から宗教、哲学、心理学・・・と知性を様々なジャンルから使いながらも、すごくシンプルで易しく優しく、温かいのです。飾ったり、期待を膨らませるような曖昧さがありません。
そしてね、先生の言葉は聴く側の状態、聴く者の在り様によって、変化します。実は、
その言葉は非常に奥深く、その背後により深い意味がある。(by ニサルガダッタ・マハラジ)
だから伊東先生のお話は、聴く者にとっていつ聴いても新鮮で、一度も同じであったことはないのです。ただ、
変わらないのはコツコツと真理へと道案内をしている、伊東先生です。
そこには、自己の本質に真摯で誠実な先生の姿しかありません。いつも丁寧で熱心で、ちょとズッコケながら真面目に、みんなに寄り添ってくれる心優しき伊東先生との対話の場は、安全で穏やかであたたかい。きっとホッとすると思います。
「ただ廓然無聖」ではあるけれど、求める心たちへの贈りものとして、長い年月をかけて作られた先生の場の色合いなんじゃないかと思います。(ひとりで悶々とやっているちょっとぶきっちょさんにこそ、オススメします、ついでにプロトマニアも清々しい空間!)
第10回青空禅塾は、5月6日(日)13時から17時まで、です。
ぜひご一緒しましょう、
*バラバラではなく、全体であることを選択する
2018年5月6日(日) 13時〜17時 開催
お申し込みは、こちらからどうぞ→