
ここでもう一度思い出して欲しいのは、多くの人が自分をエゴと同一視しているということです。エゴのことを私は〈小さな自己〉と呼んでいますが、小さな自己は内に永遠の真理を秘めていません。エゴというのは、その人が持っているさまざまな固定観念の集まり、つまり集合体にすぎないのです。こうした固定観念は常に変化しています。それまで知らなかった一片の情報を得ただけで、死んでも守ろうとしていた信念がまたたく間に消えうせて、まったく新しい価値観を持ったりします。エゴは、” 大いなる真理 ” の永遠性というものを持ちません。永遠に変化するという性質があるだけです。
人はある状況ではあることを信じ、別の状況ではまったく反対のことを信じています。自分の固定観念の全体像を観察しはじめると、こうした考えの多くが矛盾していることに気づきます。「戦争はいけない」と言ったかと思うと、「あらゆる手段を使ってこの国を守らなくてはいけない」と言います。「人はみな平等だ」と言ったり、「我々のやり方の方にみな従うべきだ」と言ったりします。こうしたことから、人が持っている固定観念の多くに矛盾があることがわかります。世界の反対側にある砂漠の真ん中で、自分たちは何を守ろうとしているのか、本当にわかっているでしょうか。ここでちょっと立ち止まって、自分がどんな固定観念を持っているのか、それらがどれほど守る価値があるものなのか、考えてみてください。
(中略)
先ほどの空と雲のたとえ話に戻りましょう。雲があります。そして何もない広大な空があります。空は神なる意識の心であり、人々が神と呼ぶあの純粋な目覚めた意識です。その無限の拡がりが、生まれては消える雲の動きを黙って静かに眺めています。耳をつんざく嵐や雷にも、空はまったく動揺しません。空からの光がなければ、雲さえ見ることができないのです。
『バーソロミュー3 大いなる叡智が語る平和への祈り』 バーソロミュー ヒューイ陽子 訳 発行:株式会社ナチュラルスピリット
第3部 紛争 P158 より抜粋