3月の青空禅塾は、先生からの投げかけからスタート:
自己の本質を見つけ感じて行こうとするとき、どんな感覚ですか?
何か大切なものを失ってしまった、忘れてしまったという喪失感から探す? それとも、未知なるものを探しにいく子どもの冒険心のように探す?
「自己の本質」「さとり」「非二元」・・・そういったコトを探求する時は、これまで書かれた本や先生たちの言うことなどからイメージを作ってしまって「とても厳かな難行を乗り越え、ぜひとも今生でサトリを果たすのじゃ!〜」みたいな必死で悲壮な気分になりがちですが、それだとなかなかうまくいかない。続かない。そして「できない果たせない自分」を責めて自分で勝手に重たい気分になってしまうんですよね。それで先生からは、ちょっとそこのところ、調整しましょうね〜と。
「僕の言うことをここで聴いて帰って守ればよいということじゃなく、みんなのアウトプットに応える対話の中から自分なりにピンとくることを見つけて下さいね〜」
たとえば、瞑想が習慣にできない、つい日常に紛れて無意識になってしまう、というアウトプットには、
「思いもしないほど些細なこと、小さなことをまずやり始める、習慣にするコツはそれ!」
と先生。
「そんなことじゃいつまでたってもきっと分からない、ダメだ〜〜〜っていうのは思考の声だから、それにくっついていかな〜い」
・・・伊東先生からは「エントロピー増大の法則」っていうお話も出て、そこから見える命のしくみにあてはめて考えてみると、何かを習慣にするには、習慣を守ろう守ろうとせずに、自ら捨てちゃう、手放して循環させていくことが大切だってことが見えてきました。
いのちの法則は、自らを捨て去って、自らを生かす!(カッコいい〜)
今回の青空禅塾は、質問者と先生とのやり取りが密で臨場感いっぱいでした。周りで聴いているというより、全員が質問者になっていた感じがします。だから、先生との対話を全員で同時体験していました。これぞ青空禅塾の真骨頂。そして、
伊東先生の白熱塾!
伊東先生は、私たちがピンと来るように、アチコチ角度を変えて説明したり、質問を変えたりしながらサポートし、励ましたり促したり、それでいいんだよ〜と声をかけながらずーっと道案内をしてくれました。たっぷりエネルギーが注がれて熱かった〜そして温かかったです。私たちもまっすぐ真摯ならば、伊東先生は本当に熱血ピュア。みんなの道案内に惜しみなく、それが喜びで楽しそうで(って変な言い方で先生ゴメンナサーイ)。青空塾には愛情があるなぁって思いました。
「私」が何かを見抜くのは、コワイことでもないし、ねばならないってことでもなく、子どもの頃の冒険のように、目の前にどんなコトがやって来ても「ヒャ〜〜!」とか「オォ、痛っ!」とか言いながら、無防備にそのまんま体験すればよし。先生を見ていると、そんな風に感じられて、大丈夫かも♪とほっとしました。
次回の青空禅塾は、九段界隈が桜の花びらで美しい4月1日(日)です。これまでの知識や定見を整理したり、あらためて明らかに見たり、伊東先生とやってみませんか〜
ご参加お待ちしています。