怖れが自分の人生に入ってこないようにすることはムリですし、全ての怖れを遠ざける必要もありません。怖れは人間としての体験の一部であり、すばらしいものです。
この点をはっきり理解できると、非常におもしろいことに気づきます。怖れは一種の感情の昂まりです。怖れはものごとを生じさせ、よいほうへと変化させます。怖れはダイナミックな力を持ち、人を生かすことがあります。たとえばどれほど絶望していても、混迷や疑いや闇の感覚の向こうにある、理解と明晰さへ達することのできる部分が、人のなかにはあります。その部分は、意識のすばらしい土台を作っている覚醒意識に敏感です。覚醒意識は、元気に溢れる輝かしい平和ないのちの感覚で、あらゆる体験を通して、あなたとともにあるのです。怖れは、しばしばそうした覚醒意識への入口となります。怖れとともにいて、それが自分を平和へと運んでくれるに任せようとするならば、怖れはあなたへの贈りものとなります。
深い哀しみを感じているときには、
人はまた命も深く感じていることを発見します。
『バーソロミュー3 大いなる叡智が語る平和への祈り』 バーソロミューの祈り P249 より抜粋
寂しさにも、悲しみにも、怒りにも、怖れのただ中にも、在るもの。
*伊東充隆主宰 第8回青空禅塾 3月4日(日)13時〜17時(4時間)