心療内科は、からだの病気を持った人たちの心の問題を扱う。
伊東先生は、もとは外科医、それから心療内科の先生、セラピスト・・・という経歴の持ち主だから、さぞや多種多様な痛みや心模様と出逢い、付き合ってきたことでしょう。
そんな伊東先生のお話の中には、禅の話、物理の話、心理学の話、哲学の話・・・いろいろ登場します。それは、角度を変えてひとつのことに言葉で近づいていくためです。
人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(略)われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提供し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。
ヴィクトール・エーミール・フランクル著 『夜と霧』霜山徳爾訳 より抜粋
時に、このフランクルの言葉も登場します。フランクルは被害者意識から離れてこの本を書いたが故に、これだけ世界中の人びとに響くのだと言われています。
自己の本質を見破って行くことが、いつのまにか日々の暮らしから遠いことになったり、現実と事実から目をそらすための手段にならないように、伊東先生は対話する参加者の言葉にじっと耳を傾けて、注意深く言葉を選び、駆使し、丁寧に対峙します。
求めている人、分かっている人が、非二元、悟りという言葉をつかんでしまわないように、ただ無分別のそれの入口へと繰り返しくり返し。
11月の青空禅塾は明日、11月5日(日)13時から17時までです。
*「自己の本質」とは・・・ 思い込みをひとつずつはずしてみたら。
11月5日(日) 13時から17時まで
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