青空禅塾10月〜ほんの束の間、そこはかとない軽さ静寂自由を味わう。

 

伊東充隆主宰 青 空 禅 塾 ♪  第3回を開催しました。

 

今回のスタートは、最も根本の「共通性」に気づいて生きる、ことについて。

これは、ちょうど第2回の最後にあった「順番を間違えないで、まずは青空からはじめよう」というお話の流れを受けるような内容でした。総ての土台である共通性、青空(自己の本質)をベースにして根を張り、そこから人生を楽しむ。順番は、青空が一番最初、それから雲へ。

 

伊東先生のお話は、以前と変わらず明晰で科学的知識やエッセンスに満ちています。知的満足感が味わえる内容です。でも最近はそれ以上に、普段の日々のあれこれとすんなり結びつけてそれそのものを生きられるようなお話、優しさと平易さに溢れるお話が多いと感じます。その気取らない普段着のようなやさしさが、この本質をベースにすることは実はどんな宗教、哲学よりも生きた叡智であること、真の平和であることへの理解に繋がります。

 

ふと考えてみたら、先生はずっと同じように話しているだけなのかもしれません。すべての元である本質のことを話しているのだから。自分の生活の何処を切っても金太郎飴のようにそれはあるのが当り前。雲のない青空はあるけれど、青空のない雲はあり得ない。

 

そう思いながら聞くと、先生がいつも話してくれる科学的な知識、宇宙の法則や心理学、脳科学で証明された事実も「難しい〜っ」や「知的に満足」で留まらずに、すんなりわかります。

 

そしてそもそも青空(私たちの本質)とは、

 

分からない(キッパリハッキリ!)

 

のですよね。

 

分かるモノではないんです。認識できたとしたら、対象として分離していることになるけど、青空(私たちの本質)は対象となる「モノ」ではないんですもの。在るとは、認識が起こるその元のこと。だから、思考や感情といった動くもの、つかめるものではなく、モノとモノの「間」、インターバルの「静寂」を束の間ふと確認するだけ。この辺りの地味っぽさ(笑)がゆえに、つい、これじゃないだろうと思ってしまうのですが、

 

「愛とか光とかそんなのじゃなく、静寂。 静寂にこそ価値を置いてください

 

と先生は伝えています。それが土台。この静寂、沈黙が本質の土台だからです。それを頻繁に軽く確認しましょう、という言葉を繰り返しくり返し先生から聞いてきました。あとは自分でやって確かめる。

 

今回参加して、あらためて青空禅塾っていいなと実感。何度も聴いた内容にハッとする発見があったし、質問した人と先生のやり取りを聞きながら、私もそっとやり取りに乗って一緒に確かめてみたら、実は曖昧にしていたことがフワッといっきに明確になってビックリしたからです。

 

何があったワケでもないのに、穏やかでそこはかとなく軽く、静かで自由。

 

 

やればやるほどにね!(・・とは言え、やるものでもないんだけど)
このジャーナルも、前よりのん気な雰囲気かな〜♪11月は5日(日)開催です。ぜひご一緒しましょ〜

 

 

* 「私」の位置はどこか?  「自己の本質」とは在ることそのもの・・・

 

伊東充隆 主宰  第4回 青空禅塾

 

11月5日(日) 13時から17時まで

お申し込みは青空禅塾と書いて、こちらからどうぞ→