1秒でオーケー。ただ在る。ハートの辺りで。

 

私は在る、に意識をとどめよ。

 

とマハラジせんせいは言いつづけました。

 

ただし、この「私」は、「私」という対象がある、ではありません。

本来、私とネーミングされているそれは、

 

在ることそのもの。

 

 

「私」という実体があるのではないのです。

私とは在ることそのもの。

それにピントを合わせ続けたら、自然とことは起こります。

 

 

1秒でオーケーだよ、ただ在る、をハートのあたりでやってみよう。

 

 

と、伊東先生は繰り返し言います。

 

しがみついたり、依存することで本来の「在ること」を確認したがるのだけれど、対象の無い在ることそのもの、在る以上のことは無しにしよう。とてもシンプルなこと。

 

1000本ノックのように、ふと1秒。

 

 

 

 

* 言葉ではない。不立文字の「自己の本質」とは・・・

伊東充隆主宰 第2回青空禅塾

 

9月2日(土) 13時から17時まで

 

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→