マハラジ
ここでは、「どのように」ということはない。ただマインドのなかに、「私は在る」という感覚を保ち、あなたのマインドとその感覚がひとつになるまで、そのなかに没入しなさい。繰り返し試みることによって、あなたはそれへの愛情と留意の正しいバランスをつかむだろう。そして、マインドは「私は在る」という思考ー感覚のなかに、揺らぐことなく確立するようになるだろう。何であれ、あなたが考え、話し、行うにも、この不変で愛情深い存在の感覚は、つねにマインドの背景として消えることなく残るだろう。
質問者
そして、それが解脱なのでしょうか。
マハラジ
私はそれを普通と呼ぶ。努力なく、幸せに、行動し、知り、在ることのどこが間違っているだろうか? なぜ身体の即座の崩壊を期待するような、そんな特別なことと考えるのだろう? 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか? 身体に対する態度を正し、忘れてしまいなさい。甘やかさず、苦しめず、ほとんどの時間、意識的留意の境界下においておけばいいのだ。
Ω I AM THAT Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
『アイ・アム・ザット 私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話
「無欲、最大の至福 」 P68 より抜粋
* ” 私 ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口
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