実践するということ。

 

ヨガクラスを始めたばかりの頃からずっと来てくれるマダムがいます。

もう70代半ばの方ですが、彼女はその現役時代にはおそらく珍しかったエリートのキャリアウーマンでした。病気で手術をした時も、治療を続けながら病院からタクシーで仕事場に通ったという筋金入り。

今のマダムはそんなことを感じさせないゆったりおおらかな雰囲気ですが、ご自分でも「よく働いた〜」とおっしゃるその密度の濃い時代と経験があっての、今のゆとりであり、もともと持っている性質でもあるのだろうと思います。

 

私とヨガと出会って、もうすぐ10年になる彼女のからだを先日見て、あらためてその変化の素晴らしさを感じました。ものすごい柔軟さとか、ポーズの正確さとか、そういうことではなく、そのひとなりの偏らないしなやかさが素晴らしかったのです。

 

クラスにはほぼ皆勤ですが、ヨガへの取り組み方は自然。とても真面目で熱心、とは違うし、向上することに貪欲、とも違います。よく食べて、よく遊んで、旅行に行く時はヨガクラスはお休みするし、クラスの途中で「疲れた〜〜」と自動的にお休みモードになったりもします。

 

熱狂することも急に冷めることもなく、頑張らず淡々と続ける

 

という感じです。

 

 

マダムは、私がクラスで「これだけはお家でやってくださいね〜」と地味な動きを幾つか伝えたことを本当に実践しています。続けてやった時のささやかな効果を実感して、さらにそれが継続するのだと思います。

 

 

倚りかからず、自分で確かめるから続くこと。

柔らか過ぎず硬すぎない、ちょうどよい塩梅のしなやかさ。

 

 

私がヨガの師匠から伝えられ、そのようにヨガを伝えなさいと教わったことを、そのように受け取ってもらえたように感じることができました。

「アラカワ先生」なんて呼ばれても、実践の先輩には教わることばかり。

 

ただ感謝でいっぱいになりました。