非二元、という言葉が、いまだに私にはピンとこないのですが、
そういえばずっと以前は、真我という言葉もピンとこなかったなぁ。
その人の話は聴くたびに新鮮で、たった今出会ったように新しい視界がいっきに開けたり、その本は読むごとに意味が深くなり、これまでいったい何を読んでいたんだろうと苦笑したり。
行為はあれど、行為者はいない、と言われる「行為者はいない」について、タクさんが書いていたブログ、
いやね。
ホントおらんのですよ。行為者なんて。
単にそう見なしているだけでね。
なので、見なしている間だけあるように見えてるわけなんですけどね。
を読んで、ふと、 ん??・・・見なしている間だけあるように見えている・・・あれま・・たしかに。
言葉のおかげで概念が生まれて、概念で一人前になって、概念のなかにとっぷり浸って、その概念を探究して、ある時くるんとターンして、そこから今度はぽりぽりと概念の枠を外し、解いて、見ていく。
友だちは「ぜ〜んぶ違っているかもしれないしねっ、ふふふ・・・」と、目を細くしてニッコリ笑ったし、また別の友だちは「私は自然からそれを確かめて行けばいいと思う」と言っていた。
言葉を重ねて、言葉の催眠にかからないこと。
その気にならないこと。
何もしないこと。