「・・・この旅の目的は、常に存在する覚醒意識の流れに目覚めてもらうことです。そしてヒマラヤで現在の瞬間にゆったりとくつろぎ、覚醒意識に完全に身をまかせられるようになってもらうことです」
バーソロミューはそこで一息ついて、何人かの顔に信じられないという表情が現れたのを認めると、前にぐっと乗り出して尋ねた。「できないことはないはずですよ。できないと思っているのはあなたたちだけで、わたしはここでちゃんと、あなたたちにはできるから、いまいっしょにやりましょう、と言っているのです。こうした集まりをあと何回すれば気がすむのでしょうか。あと何カ国訪問しなければならないのでしょうか。あと何回団体旅行を企画すればよいのでしょうか。
もう実践の時が来ました。どんどん実行するべき時です。〈 実践 〉というのは具体的にどういうことか、説明しましょう。あなたはこれまで神を探してきましたが、あなた自身が神の体験そのものだということを忘れています。現在の人生が自分の求めてきたものだとはとても信じられないので、現在の体験を別の名前で呼んで、それとは別の何かを求めて果てしない時間とエネルギーを使っています。
でも実際のところ、いまここにあるものが〈 それ 〉なんですよ。いま現在あなたが体験していることが、あなたの求めてきた〈 もの 〉なんです。わたしの言葉が真理でないと主張する人はそれを見つけられません。イライラしたり退屈だったり、蒸し暑さにうんざりしたり、心配したりする自分の心や、自分の現在の夫婦関係などが神の体験であるはずはないと思いたいでしょう。
これから三週間の旅が終わるころには、こうした気持ちも神なのだということがわかるようになります。ただし、いま現在の瞬間に専念して、何も考えずにこの瞬間をありのままに感じつづけることができたら、ですが。批判したり分析したりすることなく、すべてを聞き、すべてを見てください。ただそこにいてください。その瞬間のありのままの状態の中でありのままの自分を素直に体験してください。あなた方はすでにいまここに完全な姿であるものを見つけようとしているのです。おぼえていますか。覚醒を妨げる最大の障害は、自分は覚醒していないという思い込みです。」
バーソロミューは体を起こすと、遠くを見る目つきになって言った。「いま現在体験しているものが覚醒ならそんな覚醒はいらない、とあなた方はこれまで何度も言ってきましたね。でもそう思うのは誤解しているからです。自分の体験の中に” 大いなる光 ” があるのがわからないからです。これがどういうことなのか、発見してください。どこかほかのところに ” 大いなる光 ” を探しに行っても決して見つかりません。なぜならいまここで起きていることの中にすでにあるのですから。わかりますか」そこで言葉を区切ると、わたしたちをじっと見つめた。彼の言葉をなんとか理解しようと努力している人たちの焦燥感が感じられた。
『バーソロミューの旅日記(上)』京都の一日目ーバーソロミューの意外な第一声 より抜粋
*この本は、1992年にアメリカ人とオーストラリア人のグループが日本とインドへ旅した時の物語です。
バーソロミューのお話の中に出て来る「神」や「大いなる光」という言葉を、「真我」や「真理」、「私」に置き換えて読んでみるのもよいかもしれません。
非二元が脚光を浴びた(?)この数年ではなく、スピリチュアル全盛の90年代にバーソロミューが伝えようとしていた自己の本質。
今この本を読むとわかりますが、バーソロミューはスピリチュアル的なとらえ方や感覚を否定すること無く、禅で言うところの廓然無聖、何も無いすら無い自己の本質へとゆっくりゆっくりユーモアをまじえて愛情深く私たちを促してくれています。
ちょっと時代遅れ?くらいな優しさだからこそ、今の自分の立ち位置に素直に正直になることを怖れることなく、少しずつバーソロミューの言葉の深さに耳を傾け、真意をとらえることができるかもしれません。言葉の催眠にかからずに。
バーソロミューが誰であれ、何であれ、感謝と尊敬を感じます。私と同じように深い深い安心、真実の私を探して来た友人たちも、きっとバーソロミューにサポートされることでしょう。悟りとか真理! なんていう大袈裟なものでなく、求めることもなく、日々をやさしい心持ちで過ごせること、何も特別なことがなくても充ち満ちていることに気づくのかもしれません。
*先生のいない、読書会〜
空のお茶会〜バーソロミューと共に。
4月22日(土) 14時頃から16時頃まで
参加費は2000円(お茶とおやつ付き)
*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜
4月29日(土祝) 14時から16時