この座禅をするカエルくん、なかなかいい味を出してくれているので、プロトマニアの青空禅フォーラムコーナー担当に任命することにしました。お顔はぼーっとして愛嬌がありますが、座禅をする後ろ姿に哀愁がありますねぇ。
さて、先日の和サンガ第4回目の時、私たちとのある対話の途中、伊東先生から「すぐに良いか悪いかと気にしていることにまず気づきましょうね」と促されました。
うん、なるほど私たちは無意識に「これでいいんですか?」「正しくやっているだろうか?」「ちゃんどできているのかな?」と確認しますし、したくなります。
あれは正しいのか?間違っているのか?
これは善いことで、あれは悪いことではないか?
あれがホンモノで、これはニセモノ。
あっちが正統派で、こっちは浮かれポンチ(・・・あ、違った(♪))
といった具合です。
この世界全体が二極で出来ているので、そういう脳の機能は止められません。二極対立はシーソーのよう。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
そこでできることは、それに意識的でいること、気づくこと。
その物差しで計り続けることは、シアワセでしょうか?
それを問い続けることに意味があるでしょうか。
観点は、観る点、位置が違えば違って見えています。
そしてよくよく見てみれば、善悪どちらも、どれもこれも、『概念』です。
正しさか、愛(無分別)か? どちらが和やかでしょうか。
調和はどこにあるでしょうか。
・・・バーソロミューは、そんなことも私たちに問いかけ、明晰にリラックスしてただ見ることへ、判断の手前、思考の 0.1 秒前 !へと促します。
真理、悟りのおはなしの中で登場する「私はいない」という言葉。それが今の自分の感覚と乖離しているならば、やみくもにその言葉をさぐって迷子になるよりも、まず身近なことからひとつずつ自分で確かめてみることが大切だと感じます。
それはたったひとりでやることだけれど、そばで忍耐強くサポートしガイドしてくれるのが、青空禅や和サンガの伊東先生であり、空のお茶会のバーソロミューなのです。
誰が先生?
分かっている? 分かっていない?
問うこと無しの、空のお茶会。
過去や未来を現在の瞬間に引きずり込んで、偽の自己を悲劇や喜劇の主人公に仕立てようとしている自分に気づいても、あせらず気を楽にしてください。この過去や未来のドラマの主人公はわがままで、常に自分が正しいと思いたがり、権力を欲します。それに抵抗しないで、リラックスして、いまの瞬間に意識を向けましょう。大きく呼吸しましょう。浮かんでは消える想念を眺め、生まれては消える音を聞き、たえず変化する目前の景色を眺めましょう。意識を完全にこの瞬間に向けます。そうすると、一瞬ののちに次の一瞬が来、それをくりかえしているだけだと気づきます。生きる目的は、いのちが躍動するすばらしいこの純粋な瞬間を一瞬一瞬楽しむことだとわかります。
『バーソロミューの旅日記(上)日本編』 京都の四日目 より抜粋
*先生のいない、読書会〜
空のお茶会〜バーソロミューと共に。
4月22日(土) 14時頃から16時頃まで
参加費は2000円(お茶とおやつ付き)
*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜
4月29日(土祝) 14時から16時